ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=NyddMMiViZc
確認した動画: くるり「琥珀色の街、上海蟹の朝」Music Video(くるり公式チャンネル、監督:ウィスット・ポンニミット)

くるりが結成20周年を迎えた2016年、岸田繁はスタッフから「20周年やし、何かしようや」と背中を押されるまで、新曲を積極的に作る気になれなかったのだという[1]。それでも動き出した先で生まれたのが「琥珀色の街、上海蟹の朝」だった。岸田はのちのインタビューで、くるりの20年はある意味で黒人音楽的な語法を意図的に避けてきた20年でもあったと振り返り、この曲でのR&B/ヒップホップ的なアプローチに初めて挑んだことを明かしている[1]。長く同じ場所で仕事を続けていると、自分たちのスタイルというものができあがってくる。それは強みであると同時に、いつのまにか越えないことにしている境界線にもなる。くるりは、その境界線に20年目にしてあえて足を踏み入れた。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★★★☆

選定理由:4つの循環コードのループにラップを乗せるという構成は新鮮で聴き応えがあるが、この曲の核心はやはり言葉にある。祖父母の代から続く上海という土地の記憶と、当時の世界情勢を映した「不穏な未来」という現状認識、そしてサビで顔を出す「上海蟹食べたい」という素朴な願い[4]。この三層が一曲の中で同じ重さで扱われているところに、歌詞としての奥行きがある。MVもウィスット・ポンニミット監督によるアニメーション作品として独自の魅力を持つが[3]、聴くたびに解釈が更新されるのは歌詞の力によるところが大きく、主視点は歌詞がいいに置いた。

2016年7月、20周年という節目の1曲

「琥珀色の街、上海蟹の朝」は2016年7月6日、同名を冠したEPの表題曲としてリリースされた。作詞・作曲は岸田繁、編曲はくるり名義で行われ、レーベルはSPEEDSTAR RECORDSである[2][5]。オリコン週間アルバムランキングでは7位を記録している[2][5]。当時のくるりは、結成から20年という節目にあたり、過去のアルバムを振り返る再現ライブ企画を展開している最中でもあった[1]。過去の作品を丁寧になぞる時間と、まったく新しい音楽的アプローチに挑む時間が、同じ時期に並走していたことになる。振り返ることと、前に進むことを、同時にやってのける。それは言葉で言うほど簡単なことではないはずだが、くるりはその両方を20年目の自分たちのやり方として選んだ。

この曲にはゲストボーカルとしてUCARY&THE VALENTINEが参加しており[2]、ミュージックビデオはタイのイラストレーター、ウィスット・ポンニミット(通称タムくん)が手がけている[3]。バンドの外側から人を招き入れる姿勢もまた、この曲の新しさの一部だったのだろう。20年という時間の中で、くるりは何人ものメンバーやサポートプレイヤーと出会い、別れ、また出会ってきたバンドでもある。固定されたメンバー編成に依存せず、その時々で必要な音を鳴らせる人を迎え入れる柔軟さは、この曲に限らず、くるりというバンドが長く活動を続けてこられた理由の一つのように思える。節目のタイミングで外からゲストを招くという判断も、内輪だけで完結させずに、あえて新しい風を通そうとする姿勢の表れに聴こえる。自分たちだけでは辿り着けない場所があると認めることは、時に自分たちの力を信じることよりも難しい。私も長く一人でこの仕事をしてきたが、誰かの力を借りたほうがいい場面を素直に認められるようになったのは、ここ数年のことだ。それもまた、自分なりの小さな節目だったのかもしれないと、今になって思う。

4つのコードのループから、ラップへ ―「曲がいい」の視点から

制作は「4つの循環コードがずっとループしている」というシンプルな骨格から始まったという[1]。岸田は当初その上にソウルフルな歌を乗せようと試みたが、思うような歌唱にならなかったことから、ラップへと切り替えたと語っている[1]。この経緯を知って改めて聴くと、曲の中盤で言葉数が増えていく展開が、狙って作られたグルーヴというより、試行錯誤の末にたどり着いた形に聴こえてくる。うまくいかなかったやり方を潔く手放し、別の方法に切り替える。言葉にすれば単純だが、20年かけて積み上げてきた歌い方を一度脇に置く判断は、決して簡単なものではなかったはずだ。最初のやり方に固執していたら、この曲はまったく違う仕上がりになっていたか、あるいは完成しなかったかもしれない。

タイトなリズムとメロウな鍵盤の音色が重なるトラックに、UCARY&THE VALENTINEの伸びやかな歌声とストリングスが差し込まれる構成は、くるりというバンドがこれまで培ってきたオーケストレーションの感覚と、初めて手にしたグルーヴ感が、互いを打ち消し合わずに同居しているように聴こえる。手慣れたものと不慣れなものが、ぎこちなく、しかし確かに手を取り合っている。そのぎこちなさこそが、この曲の緊張感の正体なのだと思う。完成された技術だけで作られた曲には出ない種類の揺らぎが、この曲にはある。それは未熟さではなく、新しいことに挑んでいる者だけが持つ、独特の手触りのように感じられる。曲としての完成度は高く、繰り返し聴きたくなる強さがあるが、この曲がいちばん語りたがっているのは、コードやグルーヴの新しさそのものというより、その上に乗った言葉のように私には聴こえる。だからこそ、曲がいいは★4にとどめ、主役の座は歌詞に譲りたい。

「上海」という土地の記憶 ―歌詞の考察

タイトルにある「上海」は、語感やフローの良さで選ばれた面もあるようだが、岸田自身の家族の記憶とも結びついているという。母方の祖父がかつて上海に駐留し、父も天津に住んでいた時期があり、岸田自身も幼少期にたびたび上海を訪れていたことを語っている[1]。万博の時期に再訪した際、バブル期の日本や初上京した頃の東京が持っていたような、根拠のない前向きさを上海の街に感じ取ったという趣旨の発言も伝えられている[1][4]。生まれる前の家族の歴史と、自分自身が幼い頃に見た風景が、一つの土地の名前の中に重なっている。それは、遠くの異国の話であると同時に、極めて個人的な記憶の話でもある。誰かにとってのただの地名が、別の誰かにとっては祖父母の代から続く物語の舞台になる。そのことを思うと、地名というものの重さが、少し違って感じられてくる。磐田という地名も、私にとってはただの行政区分ではなく、生まれ育った家の匂いや、家族と過ごした季節の記憶と分かちがたく結びついている。おそらく岸田にとっての上海も、そういう場所なのだろう。

この曲の歌詞をそのまま書き写すことはしないが、ヴァースの部分には、当時の世界情勢の不安定さをそのまま映したような、静かで不穏な情景描写が置かれている[4]。それに対してサビでは、「上海蟹を食べたい」という、あまりに素朴で具体的な願いが顔を出す。ある評論は、このフレーズを困難な時代における無償の愛の表現として読んでいる[4]。大げさな理想や正義を掲げるのではなく、「あなたと何かをおいしく食べたい」という等身大の願いを置くことで、重たい現状認識と、ささやかな希望とが同じ重さで両立している。都市というものが持っていたはずの実体感が、SNSの普及によって見えにくくなっていく中で、あえて幻想としての街を歌うことの意味についても、この曲をめぐる評では触れられている[4]。土地の名前は、いつも地図の上の場所であると同時に、そこに関わった誰かの記憶の置き場所でもある。私が磐田という土地の相談を受けるときに感じるのも、近いことかもしれない。家や土地は数字や図面で語られるものである以前に、そこで暮らした家族の時間そのものだ。祖父母の代から受け継がれてきた土地の話を聞くとき、私はいつも、その土地に刻まれた記憶の厚みに圧倒される。売るか残すかという判断の前に、まずその土地がどんな時間を見てきたのかを、少しだけ聞かせてもらうようにしている。遠い土地の記憶と、目の前の誰かへの願いが、一曲の中で同じ重さで扱われているように私には聴こえる。何度も聴き返すたびに、社会情勢を歌った部分の意味も、サビの願いの意味も、少しずつ違って感じられてくる。この振れ幅の広さこそが、歌詞がいいを主視点に選んだいちばんの理由である。

アニメーションのMVが映すもの

この曲の公式ミュージックビデオは、タイのイラストレーター、ウィスット・ポンニミットによるアニメーション作品として制作されている[3]。監督はくるりの当時のアーティスト写真も手がけた人物で、実写ではなく手描きに近い質感のアニメーションを選んだこと自体が、この曲の持つ幻想性と重なっている[3]。あわせて「大事な人と食事をしているところ」をテーマにした一般公募の映像も公開されており、公式MVと合わせて複合的な形でこの曲の世界観が広げられた[3]。上海という実在しつつもどこか幻想的な街の記憶を歌う曲に対して、実写の生々しさではなくアニメーションという様式を選んだ判断は理にかなっている。写実的な映像だったら、この曲が抱えている「記憶と幻想の間」というテーマは、かえって窮屈になっていたかもしれない。ただし、MV単体の情報として確認できる範囲はそれほど多くなく、歌詞が持つ多層的な意味の広がりと比べると、映像から読み取れる解釈の幅はやや限定的である。曲の世界観をよく補強する良質なMVであることは間違いないが、主視点として選ぶには、歌詞の持つ奥行きにもう一歩及ばないというのが正直な感想だ。

磐田で、節目という名の一歩を見つめる

私はこの曲を聴くと、東京で働いていた頃に見た、ある種の人たちの顔を思い出す。長く勤めた末にようやく手にした安定した持ち場を、自分から手放すように新しいことを始める人たちだ。転職や独立の話を打ち明けてくる彼らの表情は、怖がっているようにも、どこか嬉しそうにも見えた。それまで積み上げてきたキャリアや人間関係を捨てるのではなく、その土台の上に、まだやったことのない何かを重ねようとしている顔だった。磐田に戻り、家や土地や家族の話を聞く仕事をするようになった今も、その顔をふと思い出すことがある。節目というのは、積み上げてきたものを守る理由にもなるし、そこから一歩踏み出す理由にもなる。くるりがどちらを選んだかは、この曲を聴けばわかる。20年という時間を積み重ねてきたバンドが、あえてこれまで避けてきた語法に踏み出したという事実そのものが、すでに一つのメッセージなのだと思う。

磐田で家や土地の相談を受けていると、長年続けてきたやり方に区切りをつけ、新しい暮らし方へ踏み出す方々に出会うことがある。実家を離れて長い年月が経ってから戻ってくる決断、家業を続けるか畳むかの選択、家族の形が変わる節目での住まいの決め直し。どれも、これまでのやり方を守るほうが楽だったはずの場面で、あえて新しい一歩を選ぶ人たちの姿だ。相談に来る方の多くは、長年住んだ家を手放すことにも、新しい土地に移ることにも、迷いと決意の両方を抱えている。その迷いは、決して弱さではない。積み上げてきたものがあるからこそ生まれる、健全な迷いなのだと思う。くるりが20年という節目に、これまで意図的に避けてきた語法にあえて足を踏み入れたように、節目というのはその気になれば新しい挑戦の入り口にもなる。過去を消し去って新しくなるのではなく、過去を抱えたまま、まだ知らない場所へ踏み出していく。その姿勢は、音楽の話であると同時に、暮らしや土地との向き合い方の話でもあるように、私には聴こえてならない。20年目の朝に鳴らされたこの一曲を、私はこれからも、節目を迎えるたびに聴き返すのだと思う。

参考リンク

音楽が20年目にして新しい一歩を踏み出すように、家や土地にも、誰かが積み重ねた時間が残っています。

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書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。