ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=LIlZCmETvsY
確認した動画: サカナクション / 新宝島 -Music Video-(サカナクション sakanaction公式チャンネル)

大石セレクション:MVがいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★☆☆
  • MVがいい:★★★★★

選定理由:田中裕介監督による公式MVは、『ドリフ大爆笑』などの昭和のバラエティ番組や歌番組の様式をオマージュしたレトロなセットと演出で構成されている[3]。表面をなぞるだけの物真似ではなく、当時の色使い、出演者の動き、テロップの入り方まで細部を観察し尽くした上で、現代の技術で再構築している。この精緻な再現度が「MTV Video Music Awards Japan 2015」の最優秀邦楽グループビデオ賞ノミネートにもつながったと考えられ[3]、YouTube公式チャンネルでの再生回数は2億回を超えている[4]。曲そのものも循環コードによる反復の高揚感が心地よく★4に値するが、MVが持つ「様式を見極めて翻訳する」という一段深い仕事の強さには一歩譲る。歌詞は言葉数を絞りリズムを優先した作りで、意味よりも音の連なりで体を揺らす方向に振れているため、主視点としてはMVがいいを選んだ。

ドリフの登場シーン(オープニング)をまねることができるサカナクションさんの感覚。とってもいいです。この感想には、この曲、そしてこのバンドの本質を見抜く鋭さがあると思います。『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』のオープニングは、昭和の茶の間の記憶そのものです。あの様式美を、令和にも近いこの時代のロックバンドが、照れることなく、しかも見事な完成度で再現してみせる。ふつうなら気恥ずかしくなりそうなパロディを、ここまで堂々とやり切れるのは、対象への深い理解と敬意があってこそだと思います。単なる懐古趣味ではなく、あの時代の様式が持っていた祝祭性を、正確に読み取って翻訳している。「新宝島」は2015年9月30日にリリースされたサカナクションの11作目のシングルで、映画『バクマン。』の主題歌として起用されました。東京で働いていた頃、この曲がいろいろな場所から流れてきた記憶があります。喫茶店でも、取引先の車のラジオでも、誰かのイヤホンの隙間からも。当時はまだ、自分がいずれ磐田に戻って家や土地の仕事をすることになるとは思っていませんでした。この曲を聴き、MVを観るたびに、過去の様式をここまで的確に「まねる」ことができる感覚の鋭さと、あの頃の東京での日々のことを、あわせて思い出します。

マンガを研究してたどり着いたタイトル

「新宝島」は、映画『バクマン。』の劇伴と主題歌としてサカナクションに書き下ろされた楽曲です。監督の大根仁がフェスティバル「TAICOCLUB」でのバンドのライブに衝撃を受けたことが起用のきっかけになったと伝えられています。ボーカルの山口一郎は、映画のテーマである漫画制作について理解を深めるため、ふだんあまり読まないという漫画を数多く研究したそうで、その過程で日本漫画の原点にあたる手塚治虫の作品にたどり着き、そこからタイトルを借りたという逸話がよく紹介されます。歌詞の完成までに半年以上を費やしたとも言われ、楽曲全体の制作には1年を超える期間がかかったと本人が振り返っているという記事も見かけました。当初は別のタイトルが候補にあったものの、既存の有名な漫画作品の題名と重なってしまうために変更されたという話も伝えられており、一つの言葉を選び取るまでに、幾つもの案を検討し、削り、また戻すという作業が繰り返されたのだろうと想像します。仕事でも、時間をかけて一つのものに向き合った末に、最初に思い描いていたものとは違う、けれどもっと確かな何かにたどり着くことがあります。この曲のタイトルの由来を知ったとき、家の設計や土地の相談で、当初の希望とは違う形に着地しながらも、結果的にそのほうが納得のいく答えになった案件のことを、少し思い出しました。図面を何度も引き直し、最初の案からずいぶん形を変えて完成した家を、施主が「これでよかった」と言ってくれたときの安堵と、この曲が生まれるまでの試行錯誤の話には、どこか似た手触りがあるように感じます。普段読まないジャンルの作品を、仕事のためにあえて大量に読み込むという山口一郎の姿勢にも、共感するところがあります。土地の相談を受ける仕事でも、自分の専門とは違う分野、たとえば法律や税制、あるいは地域の歴史といった領域を、必要に迫られて集中的に調べる時期があります。そうして得た知識は、たいてい一つの案件のためだけでは終わらず、その後の仕事全体を支える土台になっていく。この曲のタイトルが、漫画を研究する過程で偶然たどり着いた手塚治虫の作品名だったという逸話は、遠回りに見える調べものが、思いがけない形で仕事の核心に結びつくことがあるという、ささやかな実感を裏づけてくれるように感じます。

ミュージックビデオは田中裕介監督が指揮を執り、昭和のバラエティ番組や歌番組の様式をオマージュしたレトロな美術と演出でまとめられています。ドリフ大爆笑のオープニングを思わせる構成に加えて、カラオケ映像のパートは大根監督自身が撮影を手がけ、1980年代末から1990年代初頭にかけてのカラオケ映像特有の質感を再現しているのだそうです。セットの色使いや出演者の動き、テロップの入り方まで、当時の番組の様式を細部にわたって観察し、写し取ったうえで、現代の映像技術で仕上げ直している跡がうかがえます。バンドとしての新しい章の始まりを、あえて古い様式の力を借りて祝う。その逆説的な構造こそが、この曲の企画としての巧みさだと感じます。新しく始めるからこそ、まっさらな地平を目指すのではなく、あえて誰もが記憶している懐かしい様式を選び取る。その判断には、聴き手やその親の世代が共有している記憶に訴えかけようという、したたかな計算もあったのではないかと思います。

循環するコードと、平坦さから生まれる爆発感

この曲を音楽的に聴くと、Aメロはあえて抑えた、平坦とも言えるトーンで進み、そこからサビにかけて一気に開けていく構成になっていると感じます。イントロのギターのフレーズは同じ形を繰り返すループになっていて、長調とも短調ともつかない揺れを含んだまま、淡々と刻まれていく。それが単調に響かないのは、繰り返しの中にわずかな変化を仕込む工夫があるからではないかと聴こえます。コード進行自体は循環進行を基本にしたシンプルな作りだと紹介されることが多く、複雑な理論よりも、反復の気持ちよさと、飽きさせないための細かな仕掛けのバランスに重心が置かれた曲なのだろうと思います。同じコードの並びを何度もなぞりながら、そのつど楽器の重なり方や音量を少しずつ変えていくことで、聴き手を飽きさせずに引っ張っていく。派手な転調に頼らず、反復そのものを推進力に変えているところに、この曲の巧みさがあるように感じます。

バンドサウンドのなかにレトロな質感のシンセが混ざっている点も印象的で、生演奏の熱量と、どこか懐かしい電子音の響きが同居していることが、この曲の持つ「新しいのに懐かしい」という手触りを作っているように感じます。ダンスミュージックとしてのビートの推進力と、ロックバンドとしての生々しい演奏が同居していることも、この曲が単なる懐古趣味の再現に終わらず、今の耳で聴いても新鮮に響く理由の一つではないかと思います。歌詞についても、言葉数を絞り込み、同じフレーズを繰り返し重ねる部分があることで、DJのスクラッチのようなリズムの遊びが生まれているという評もあり、音そのものが持つ律動を優先した作りなのだろうと想像します。歌詞の意味を丁寧に追うというより、音の連なりそのものが体を揺らすように働きかけてくる。そういう作りの曲だからこそ、映像側でもドリフ大爆笑のオープニングのような、意味よりもリズムと高揚感で観客を巻き込む様式が、違和感なく重なったのではないかと思います。

まねることのできる感覚の鋭さ

何かをまねるという行為は、一見簡単なようでいて、実はとても高度な観察力を必要とします。表面をなぞるだけでは、対象の本質を捉えられません。ドリフ大爆笑のオープニングが持っていた、あの独特の高揚感やタイミング、色彩感覚。それらを正確に読み取り、現代の技術と美意識で再構築する。この曲のMVには、そうした緻密な観察と分析の跡が見えるように思います。東京で働いていた頃、優れた仕事をする人ほど、他者や過去の事例を丁寧に観察し、そこから本質を抽出する力に長けていたことを思い出します。単なる模倣ではなく、対象の核心を掴んだ上での再構築。サカナクションがこの曲で見せた「まねる」技術は、まさにそういう、高い観察力に裏打ちされた創造性の証明のように感じます。真似るというのは、対象をよく知らないとできないことです。中途半端な理解のまま形だけをなぞれば、すぐに底が見えてしまう。この曲とMVが今も色あせずに語られ続けているのは、対象への理解の深さが、細部の隅々にまで行き届いているからだと思います。

「新宝島」の受け止められ方の広さも、この曲の性格をよく表していると思います。オリコンの週間シングルランキングでは9位、月間では25位を記録したと伝えられ、ダウンロードやストリーミングの各分野でも高い認定を受けたとされています。ミュージックビデオの再生回数は公開から時間が経ったいまも積み重なり続けているようで、正確な数字は流動的なので確定的には書きませんが、一時のヒットで終わらず、長く聴かれ続けている曲だという印象は、いろいろな記事や記録から共通して伝わってきます。派手な仕掛けのある曲でありながら、一過性の話題性だけでなく、時間が経っても色あせない強さを持っていること自体が、この曲の音楽的な骨格の確かさを裏づけているように思えます。リリースから10年近く経った今も、この曲がテレビやCM、配信サービスの企画で取り上げられているのを見かけることがあり、一過性の流行として消費されるのではなく、様式として世代を越えて参照され続けている曲になっているのではないかと感じます。

磐田で受け継ぐ、様式の記憶

磐田で家や土地の相談を受けていると、地域に古くから伝わる祭りや行事の様式を、次の世代にどう引き継いでいくかという話題によく出会います。形だけをなぞるのではなく、その様式が持っていた本来の意味や高揚感を理解した上で、今の時代に合わせて再構築していく。サカナクションが「新宝島」で見せた、過去の様式への向き合い方は、そうした地域の文化継承の現場でも、大切な視点を与えてくれるように感じます。祭りの担い手が減り、やり方を簡略化せざるを得ない集落の話を聞くたびに、何を削り、何を守るべき核として残すかという判断の難しさを感じます。それは、この曲のMVが、ドリフ大爆笑という様式のどこを引用し、どこを現代的に翻案したのかという選択と、根っこの部分ではよく似た営みなのだろうと思います。家族と暮らす今の家も、もとをたどれば先代が選んだ土地であり、先代が守ってきた様式の上に、少しずつ手を加えながら住み継いでいるものです。何を残し、何を今の暮らしに合わせて変えるか。その判断の基準は、結局のところ、対象を丁寧に観察し、本質を見極める目を持てているかどうかにかかっているのだと思います。

ドリフの登場シーンをまねることができる感覚。それは単なる物真似の技術ではなく、時代を越えて残していくべき様式を見極める、確かな審美眼なのだと思います。東京で聴いていたこの曲を、今は磐田の家で、当時とは違う立場で聴き返しています。曲そのものは変わらないのに、聴く自分の生活や仕事が変わることで、同じ音の中から違う手触りが立ち上がってくる。当時は一人の会社員としてこの曲を聴き流していましたが、今は家族を持ち、土地や家を受け継ぐ側の人間として、同じサビの高揚感を少し違う角度から聴いています。何かを引き継ぐという行為には、まず引き継ぐ対象をよく見る時間が要る。サカナクションがドリフの様式をよく観察した上で新しい曲に落とし込んだように、自分もまた、磐田の土地や家の様式をよく観察した上で、次の世代に手渡していきたいと思います。「新宝島」は、そのことをあらためて教えてくれる一曲です。

ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、時代を越えて受け継がれる様式の記憶を読み直す場所です。