ページ作成日: 2026年7月2日
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確認した動画: 崎谷健次郎-涙が君を忘れないMV1991(崎谷健次郎公式チャンネルimpression)

崎谷健次郎「涙が君を忘れない」は、1991年11月にリリースされた通算12枚目のシングルで、東映映画『江戸城大乱』の主題歌として書かれ、翌年のアルバム『BOTANY OF LOVE』に収録されています。作詞、作曲、編曲のすべてを崎谷健次郎本人が手がけた、正真正銘の自作自演のバラードです。この曲について語ろうとすると、構成がどうとか、時代背景がどうとか、いろいろな入口があるのですが、自分の場合、最初に出てくる言葉はもっと単純です。声がいい。それに尽きるのです。高い音域を無理なく、しかも細くならずに歌い切る声。切ない歌なのに、聴いているこちらの体温を下げない声。理屈より先に、その声そのものが胸に入ってきます。そして後年、この曲がフィリピンで「Babalikang Muli」という名前で歌い継がれ、国民的な愛唱歌になっていると知ったとき、妙に納得したのを覚えています。言葉が分からなくても届くものが、この歌にはもともと備わっていたのだと思います。この記事では、その声のことから始めて、1991年という時間と、海を越えて残り続ける歌のことを、自分の記憶と重ねながら読み直してみたいと思います。

声がいい、ということ

声がいい、という言い方は、音楽の感想としてはあまりに素朴に聞こえるかもしれません。けれど、長く音楽を聴いてきて思うのは、結局そこに戻ってくる、ということです。メロディは覚えられます。アレンジは分析できます。歌詞は読み返せます。しかし声だけは、説明の外側にあります。同じ譜面を別の人が歌えば、まったく別の歌になる。その差を生んでいるものを、私たちは「声がいい」としか言いようがないのだと思います。崎谷健次郎の声は、ハイトーンでありながら、線が細くならない声です。高い音を出すとき、多くの歌い手はどこかで力むか、逆に力を抜いて薄くなるかのどちらかに寄っていきますが、この人の声は高いところでも密度が変わりません。だから、切ない歌を歌っても、悲鳴のようには聞こえない。むしろ、聴く側を落ち着かせるような温度があります。

「涙が君を忘れない」は、別れを歌ったバラードです。もう戻れない相手のことを、それでも記憶が手放さない。そういう内容の歌を、この声で歌われると、不思議なことに、悲しさよりも先に、どこか救われたような感覚が来ます。歌の中の主人公はつらいはずなのに、その声自体が、聴いている自分の背中に手を置いてくれているような感じがするのです。声には、歌詞の意味とは別のレイヤーで感情を運ぶ力があります。この曲の場合、歌詞が運んでいるのは喪失なのに、声が運んでいるのは温かさです。その二つが同時に届くから、聴き終わったあとに残るのは、ただの悲しみではなく、悲しみごと抱きしめられたような余韻になります。

MVの中の崎谷健次郎は、大げさな身振りをほとんどしません。ただ歌っている。それで十分に成立してしまうのは、声が画面の中心を支えているからです。自分がMVを観るのが好きなのは、歌っている人の顔と声が結びつく瞬間に立ち会えるからですが、この映像はまさにそういう一本です。1991年の空気をまとった映像の中で、声だけが古びていない。三十年以上前の録音なのに、今のスピーカーで聴いても、声の輪郭がまったく崩れていないことに驚きます。いい声というのは、時間に強いのだと思います。流行の音色は時代とともに古くなりますが、声そのものの良さは、記録された瞬間のまま残り続けます。

1991年という時間

この曲が世に出た1991年は、振り返ればいろいろなものの境目にあたる年でした。世の中の景気は頂点を過ぎつつあり、それでもまだ街には勢いの余熱が残っていて、音楽の世界では、都会的で洗練されたサウンドが一つの成熟に達していた時期です。崎谷健次郎は1987年のデビュー以来、そうしたシティポップの流れを象徴するメロディメーカーの一人として歩いてきた人で、この曲はキャリアの中でも特に広く知られた一曲になりました。時代劇映画の主題歌にモダンなバラードを合わせるという組み合わせも、今から見れば当時の企画の懐の深さを感じさせます。江戸城を舞台にした物語の幕が下りたあとに、この声が流れてくる。まったく違う時代の物語同士が、歌の中で握手をしているような構図です。

自分にとっての九十年代の初めは、まだ何者でもなかった時間です。東京で暮らし、目の前の仕事と生活に追われ、将来の輪郭ははっきりしないまま、それでも毎日どこかへ向かって歩いていました。当時の夜の記憶には、いつも何かしらの音楽が貼りついています。テレビから、有線から、レンタルしてきたCDから。この曲のような、高く澄んだ声のバラードは、そういう夜の終わりによく似合いました。一日の緊張がほどけて、部屋に一人になったとき、勢いのある曲ではなく、こういう声を聴きたくなる。若かった自分は歌詞の内容を自分の恋愛に引きつけて聴いていたはずですが、今聴き直すと、あの頃の自分が本当に受け取っていたのは、物語よりも声の安心感だったのではないかという気がします。

三十年以上が経って、同じ曲を磐田の自宅で聴いています。聴いている場所も、立場も、抱えているものもすっかり変わりました。それなのに、イントロが始まって声が入ってきた瞬間に戻される場所は、あの頃とほとんど同じです。音楽の不思議なところは、曲そのものは一秒も変わっていないのに、聴くたびにこちらの人生の方が変わっていて、その差分を突きつけてくることです。1991年の自分と、2026年の自分。その間に横たわる時間の長さを、この四分あまりの歌は、静かに測り直させてくれます。そして測り終えたあとに残るのは後悔ではなく、よくここまで歩いてきたな、という穏やかな実感です。それもたぶん、この声の温度のおかげです。責める声ではなく、包む声で歌われた歌は、聴き手の過去まで包んでしまうのだと思います。だからこの曲は、自分にとって過去を懐かしむための歌ではなく、過去と仲直りするための歌になっています。

海を越えて、家に残って

この曲には、日本での物語とは別に、もう一つの人生があります。フィリピンで「Babalikang Muli」というタイトルで現地の言葉により歌い継がれ、世代を超えて愛される国民的な愛唱歌になっているのです。1993年にレジーン・ヴェラスケスが取り上げて以来、複数の歌い手がこの旋律を歌い続けてきました。作った本人が詳しい経緯を知らないまま、遠い国で歌が独り歩きし、いつの間にかその国の人々の記憶の一部になっていた。こんなことが実際に起きるのかと思いますが、この曲の声とメロディを知っていると、あり得る話だと素直に思えます。言葉が通じなくても届くものだけが、海を越えられる。この歌が越えたのは距離ではなく、言語の壁そのものでした。

歌が場所を越えて残るという話は、自分の仕事とも無縁ではありません。磐田で家や土地、空き家や相続の相談を受けていると、建物や土地そのものよりも、そこに染みついた記憶の方が、家族にとって重いのだと感じる場面が何度もあります。誰も住まなくなった実家を前にして、売る売らないの判断がなかなか進まないのは、金額の問題ではなく、その家に残っている声の問題であることが多いのです。台所から聞こえた親の声、居間で流れていた歌番組、車の中でかかっていたカセット。人がいなくなっても、場所は音の記憶を抱えたままそこにあります。フィリピンの人々にとっての「Babalikang Muli」が、作者の手を離れてその土地の記憶になったように、一軒の家に残った声もまた、家族だけの愛唱歌のようなものだと思います。

だから自分は、歌が残ることと、家が残ることを、どこか同じ目で見ています。形あるものはいつか役目を終えますが、そこで鳴っていた声の記憶は、扱い方さえ間違えなければ、次の暮らしへ引き継いでいけます。「涙が君を忘れない」というタイトルは、忘れないでいる主体が自分ではなく涙の方だ、という不思議な言い方をしています。意志の力で覚えているのではなく、体の方が勝手に覚えている。記憶とは本来そういうものなのかもしれません。いい声を聴いた体は、その声を忘れません。長く暮らした家に染みた時間も、住んだ人の体から消えません。三十五年前の歌声が今も少しも古びずに届くという事実は、記憶というものの息の長さを、そのまま証明しているように思います。この声を聴くたびに、自分が預かっている家々の記憶のことも、少しだけ背筋を伸ばして考え直すのです。

ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、声が運んできた時間と、場所に残った記憶を読み直す場所です。