2003年1月22日、椎名林檎は「茎(STEM)〜大名遊ビ編〜」を8枚目のシングルとして世に出した[1]。作詞・作曲は椎名林檎自身、編曲は森俊之が手がけ、プロデュースは井上雨迩が務めている[2]。副題の「大名遊ビ編」は、この森俊之によるオーケストラアレンジの豪奢さを指し、演奏には「大奥記念オーケストラ」が参加、後藤勇一郎が統率したと伝えられている[1]。英語詞の翻訳と発音指導はロビー・クラークが担当し、タイトルに添えられた「STEM」の読みはここに由来するという[2]。この曲は、椎名林檎にとって初めてオリコン週間シングルチャート1位を獲得した作品となった[1][5]。当時、東京の会社員だった自分は、この曲を派手なシングルという以上には受け止めていなかった。テレビの音楽番組で流れる映像の鮮やかさと、声の圧に圧倒されていただけだったと思う。移動の多い仕事をしていた時期で、音楽はいつも耳の表面を通り過ぎていくものだった。今、磐田で家や土地の相談を受ける仕事をしながら聴き直すと、あのとき見えていなかったものがいくつも浮かび上がってくる。
この曲は、同年2月23日に発売されたアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」に先立つ先行シングルという位置づけで世に出た[3]。アルバム収録版は日本語詞のアレンジ違いバージョンであり、シングル版とは編曲も歌詞の言語も異なる[3]。アルバムは椎名林檎が出産・育児を経て制作したとされる作品で、本人が「引退も考えていた」時期に、レコーディングの技法や表現の可能性を試すために作られたと語られている[3]。オリコン週間チャートで2週連続1位を獲得し、日本レコード協会のダブルプラチナ認定を受けたと伝えられている[3]。楽曲が仮に「性」というタイトルだった時期があり、2001年の同時多発テロを受けて歌詞に手を入れたという逸話も伝わっている[3]。真偽の線引きが難しい部分はあるが、少なくとも、この曲が「祝祭的な華やかさ」と「個人的な激変の時期」という、本来なら相容れなそうな二つを同時に抱えて生まれたことは間違いなさそうだ。導入で聴こえるオーケストラの厚みは、その意味で単なる装飾ではなく、内側の混乱を覆い隠すための鎧のようにも聴こえる。
編曲を担当した森俊之は、椎名林檎のキャリアの中でも重要なアレンジャーの一人として知られる。オーケストラの規模を大きく使ったこの曲のアレンジは、それまでのバンドサウンド中心の楽曲とは明確に違う手触りを持つ。一方で、アルバム本編には日本語詞のアレンジ違いバージョンが収録されており、同じ楽曲が異なる衣装をまとって世に出たこと自体が、この時期の椎名林檎の制作スタンスを物語っているように思える。一つの曲を複数の姿で提示するというやり方は、聴き手に「どちらが本当の顔か」という問いを静かに投げかけているようにも聴こえる。カップリングの「迷彩」「意識」には、いずれも「戦後最大級ノ暴風雨圏内歌唱」という副題が添えられている。これは録音時にスタジオ周辺に台風が接近していたことに由来すると伝えられており[1]、この時期の椎名林檎が、制作環境そのものの偶然すら作品の一部として取り込んでいたことがうかがえる。
大名遊ビという名の距離感
「大名遊ビ編」という副題を最初に見たとき、意味がよくわからなかった。今になって聴き直すと、これは自嘲に近い言葉だったのではないかと思えてくる。豪華なオーケストラを従えて歌う様は、まさに「大名」のように贅を尽くした遊びに見える。しかし椎名林檎自身の歌唱は、その贅沢さに酔っているようには聴こえない。むしろ、着飾った衣装の内側で息を潜めているような緊張感がある。ストリングスが華やかに鳴るほど、声はどこか醒めて、周囲の音と距離を取っているように感じられる。この「距離」の感覚こそが、この曲を単なる祝祭ソングで終わらせていない理由ではないか。イントロで一気に押し寄せる弦の音は、聴き手を引き込むための入り口でありながら、同時に歌い手自身を包み隠す幕のようにも聴こえる。
東京で働いていた頃、自分にもこれに近い感覚があった。会議室で結果を出し、取引先と笑い合い、外から見れば順調に見える日々を送っていても、その内側で自分がどこにいるのか分からなくなる瞬間があった。「大名遊ビ」という言葉が、豪奢さと空虚さを同時に含んでいるように、あの時期の自分の生活も、充実と摩耗を同時に抱えていた。この曲のアレンジがまとう過剰な美しさは、聴き手を酔わせるための装置であると同時に、酔いきれない何かを浮かび上がらせるための仕掛けのようにも思える。当時の自分は、仕事の後に一人で電車に乗る時間だけが、唯一自分に戻れる時間だった。華やかな一日の後に訪れるあの静けさと、この曲の構造はどこか似ている。
「茎」という単語には、地上に伸びる部分と地中の根をつなぐ役割がある。副題の「大名遊ビ」が外向きの華やかさだとすれば、タイトルの「茎」は内向きの支えを指しているのではないか。二つの言葉が一つの曲名に同居していることに、この曲の芯があるように思う。人前でどれだけ堂々と振る舞っていても、それを支える根の部分は誰にも見せない。椎名林檎のこの時期の作品には、そうした「見せる部分」と「見せない部分」の落差を、隠すのではなくむしろ強調して提示する姿勢があったように聴こえる。編曲を手がけた森俊之の仕事は、まさにその「見せる部分」を極限まで豪華に組み立てることで、逆に歌の内側にある個人的な手触りを際立たせているように思える。
この曲を初めて聴いたとき、自分はまだ二十代で、東京の会社に勤め始めたばかりだった。周囲には同じように地方から出てきた同僚が多く、誰もが「うまくやっている自分」を演じることに必死だった。休日にレンタルビデオ店でこの曲のミュージックビデオを繰り返し見ていた記憶がある。演劇的な映像の中で椎名林檎が見せる、余裕とも緊張ともつかない表情に、当時の自分は理由も分からず引き込まれていた。今思えば、それは自分自身が抱えていた「演じることの疲れ」を、どこかで映し出されていたからなのかもしれない。
演劇的なMVが映す「見せる」ということ
この曲の公式ミュージックビデオは、番場秀一監督によるもので、女優の小雪、小林賢太郎、大森南朋が出演し、『短篇キネマ 百色眼鏡』という映像作品の演出や画作りが流用されていると伝えられている[1]。ゼロから撮り下ろされた映像ではなく、既存の短編映画的な作品世界を借りてきているという成り立ちそのものが興味深い。楽曲が「大名遊ビ」という虚構めいた華やかさをまとっているように、MVもまた、現実のプロモーションのための撮影というより、一つの独立した映像作品の断片を借用する形で成立している。大正ロマンを思わせる衣装や、舞台劇のような間合いのある芝居は、曲のオーケストレーションが持つ過剰さと呼応していて、音と映像の両方が「装うこと」を主題にしているように見える。小林賢太郎の演劇的な間、小雪の視線の動かし方、大森南朋の抑えた佇まい。それぞれの演者が、感情を素直に見せるのではなく、一枚膜を隔てたような芝居をしているのが印象的だ。これは、椎名林檎自身の歌唱が「贅沢さに酔いきれない」距離感を持っていることと、驚くほど重なる。曲を聴くだけでは掴みきれない「見せる」と「見せない」のせめぎ合いが、この映像を通すことで輪郭を持つ。ただし、この映像は新たに曲のために構想されたものではなく、既存の短編映画の流用であるため、曲の歌詞や物語と一対一で対応しているわけではない。そこにMVとしての強い没入感を覚えつつも、楽曲そのものが持つ普遍的な強度と比べると、主視点として選ぶにはもう一歩、曲のために書き下ろされた物語性がほしいというのが正直な感想だ。それでも、豪華な出演陣と演劇的な画作りが、音楽番組の映像として繰り返し目にした当時の記憶に、今でも鮮やかに焼き付いている。
数字が語らないもの
オリコン週間シングルチャート1位という記録は、確かにこの曲が多くの人に届いたことを示している[1][5]。だが、チャートの数字だけを見ていると、この曲が置かれていた状況の複雑さは見えてこない。先行シングルとして高い評価を得た一方で、後続のアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」は、椎名林檎自身が「引退も考えていた」と語る時期に生まれた作品でもある[3]。数字は上下するが、作品そのものの手触りが変わったわけではない。むしろ、より個人的で、より内省的な方向へ踏み込んだ結果として、受け手の反応が分かれたのだと考えるほうが自然に思える。
磐田で不動産の相談を受けていると、似たようなことをよく思う。ある家の査定額や、ある土地の相場は、数字として明確に出せる。しかしその数字は、そこに暮らした人の時間や、手放すことへの迷いを何も語らない。査定額が高くても手放せない家があり、安くても手放してほっとする家がある。チャート1位という結果と、その曲が本人にとってどういう意味を持っていたかは、たぶん別の話だ。数字は入り口に過ぎず、そこから先にある個人の事情は、本人か、よほど近くにいた人間にしか分からない。相談を受けるとき、こちらが提示できるのは数字までで、その先の決断は必ず本人の中にしかないのだと、改めて思わされる。
この曲を聴くたびに、華やかな成績の裏側にあったはずの、静かで個人的な時間を想像してしまう。出産や育児を経て制作に戻ってきたとされるこの時期、椎名林檎がどんな速度で日々を過ごしていたのか、正確なところは分からない。ただ、この曲の持つ緊張感には、外の評価と内の実感がぴったり重ならない人特有の、微妙なずれが刻まれているように聴こえる。ヒットチャートの1位という結果は、その年の音楽シーンにおける一つの事実として記録される。けれど、その1位を作った本人の内側にどんな時間が流れていたかは、記録には残らない。残らないからこそ、音そのものを何度も聴き直すしかないのだと思う。
チャートの記録を眺めていて気づくのは、この曲がヒットした2003年前後、日本の音楽市場全体が緩やかに縮小し始めていた時期だったということだ。CDの売上が全体として下がっていく流れの中で、椎名林檎が個人としてはむしろ表現の密度を上げていったことは、単なる偶然ではないように思える。市場が縮んでいくときほど、作り手は「何を残すか」を強く意識せざるを得なくなる。この曲の過剰なまでの編成の豪華さは、そうした時代の空気に対する、ある種の抵抗だったのではないかとも想像してしまう。
磐田の家で聴く緊張と余白
今、磐田の自宅でこの曲をかけると、東京で聴いていたときとは違う音が鳴る。同じ音源なのに、部屋の空気や自分の立場が変わると、耳に残る場所が変わる。若い頃はイントロのオーケストラの厚みに耳を奪われていたが、今は歌の合間に生まれる短い静けさのほうが気になる。音数の多い曲ほど、その隙間の使い方が印象を決めるのではないかと思う。この曲も、鳴っている音の情報量は多いのに、聴き終えたあとに残るのは静かな余韻だ。それは、豪華な編成の中に意図的に置かれた「間」があるからではないか。窓の外で夕方の風が竹林を揺らす音と、この曲の弦の余韻が、なぜか重なって聴こえることがある。
家や土地の仕事をしていると、空き家になった家に足を踏み入れる機会がある。誰もいない部屋には、生活の名残と静けさが同時にある。かつて賑やかだった場所ほど、静けさの質が濃く感じられる。この曲の構造にも近いものを感じる。オーケストラが鳴り止んだ後の余白、歌声が一瞬だけ張り詰めた後に緩む瞬間。そうした緩急のなかに、椎名林檎という歌い手の呼吸の癖が刻まれているように聴こえる。派手な編成に埋もれない声の芯の強さが、この曲を単なる時代の記録以上のものにしているのではないか。空き家の相談で親の部屋に立ち入るとき、家族はたいてい一瞬言葉を止める。この曲の間合いにも、それに似た沈黙の質があるように思う。
先日、ある空き家の相談で、亡くなった親が生前によく聴いていたというCDの棚を見せてもらった。その中に椎名林檎のアルバムがあったとき、少し不思議な感覚を覚えた。持ち主にとっては生活の記録の一部であり、こちらにとっては仕事で預かった不動産の一部だった。二つの立場が同じ棚の前で重なる瞬間があった。音楽は、誰かの人生の時間に静かに紐づいている。この曲を聴き直す作業も、結局は自分自身の過去の棚をもう一度整理し直すことに近いのかもしれない。
根を張り直す場所として
東京で働いていた頃には気づかなかった細部に、今になって気づく。それは自分の耳が変わったからでもあるし、生活の場所が変わったからでもある。仕事で人の家や土地の歴史に触れるようになって、外側の華やかさと内側の事情がずれていることに敏感になった。この曲を今また聴き直す意味は、椎名林檎という歌い手の記録を確認することだけではない。自分がどんな耳でどんな時期を過ごしてきたかを、音を通して測り直すことにあるのだと思う。磐田に戻ってからの数年は、派手な出来事はほとんどなかった。それでも、一つ一つの相談に向き合う時間の中で、自分の根がどこにあるのか、以前より少しはっきり感じられるようになった。
「大名遊ビ」という言葉の華やかさと、「茎」という言葉の地味な実直さ。その両方を抱えたこの曲は、聴くたびに違う場所を照らす。東京で聴いていたときは表側の眩しさに目を奪われ、磐田で聴く今は、その奥にある根の部分に耳が向く。数字としてのヒットの記録と、個人の内側にあった静かな時間。どちらも本当で、どちらも曲の一部だ。派手な曲を静かに聴き直せることが、この曲の懐の深さなのだと感じている。家族と暮らす今の家で、この曲を小さな音量でかけていると、若い頃には見えなかった根の存在が、少しずつ輪郭を持って浮かび上がってくる。
参考リンク
- [1] 茎 (STEM) - Wikipedia
- [2] 茎(STEM)~大名遊ビ編~[CDシングル] - UNIVERSAL MUSIC JAPAN
- [3] 加爾基 精液 栗ノ花 - Wikipedia
- [4] 加爾基 精液 栗ノ花 - UNIVERSAL MUSIC JAPAN
- [5] 茎(STEM)〜大名遊ビ編〜 | 椎名林檎 - ORICON NEWS
豪華な編成の奥にも、静かに息づく一本の芯があるように、家や土地にも、誰かが積み重ねてきた時間が残っています。
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