椎名林檎「長く短い祭」は、2015年8月5日発売の両A面シングル『長く短い祭/神様、仏様』に収録された一曲である[1]。コカ・コーラの2015年サマーキャンペーンCM「夏を変えよう」篇のCMソングとして書き下ろされ、デジタル配信された段階でiTunes Storeの週間ソングチャートで1位を記録し、発売週のオリコン週間シングルランキングで6位、Billboard JAPAN Hot 100では週間2位を記録したと伝えられている[1][3]。作詞・作曲は椎名林檎、編曲は椎名林檎と村田陽一による管編曲で、デュエット相手には東京事変のギタリストである浮雲が招かれている[1]。オートチューンを効かせた二人の声が管楽器と鍵盤に絡み、ブラジル音楽の語法を取り入れたダンスチューンに仕立てられている点は、ユニバーサルミュージックの特設サイトでも「ブラジリアンなスパイスと、江戸好みな引き算の効いたダンスチューン」と紹介されている[2]。ジャケット写真には、2014年の青森ねぶた祭で最優秀制作者賞と知事賞を受賞した竹浪比呂央氏が手がけたねぶたの写真が使われたとWikipediaは記している[1]。東京発、全国区の清涼飲料水のキャンペーンソングであるはずなのに、装丁だけは遠く津軽の祭りを借りている。そのねじれた距離感に、この曲を初めて手に取ったときから引っかかるものがあった。
南米のリズムと、遠い祭りの写真
両A面シングルのもう一曲「神様、仏様」には、au「isai vivid」のCMソングとして、ZAZEN BOYSの向井秀徳がラップで参加している[1][2]。一方の「長く短い祭」は東京事変のメンバーである浮雲とのデュエットという座組みで、椎名林檎のソロ名義の作品でありながら、バンドの仲間との共作という形が取られている。ソロと東京事変という二つの軸を常に行き来しながら音楽活動を続けてきた彼女らしい編成だと感じる。ブラジル音楽由来のリズムを大胆に取り入れた点も、それまでの楽曲と比べて新機軸で、CMソングという商業的な枠組みの中でも音楽的な実験を止めない姿勢がうかがえる。オートチューンで整えられた声が二重に重なるパートは、生々しい肉声というより、祭りの太鼓や鉦の音のように、輪郭のはっきりした反復のリズムとして耳に届く。人間味を削ぎ落として機械的に均された声が、かえって祭り囃子のような普遍性を帯びる、というのは面白い逆転だと思う。個人の感情を伝えるための道具であるはずの声が、あえて匿名的な音の粒に近づけられることで、誰のものでもない夏の記憶として響くようになる。その工夫が、CMソングという枠組みの中で機能しているように聴こえる。編曲を担当した村田陽一の管楽器の使い方も見逃せない。金管と木管が主旋律を追いかけるのではなく、リズムの隙間を埋めるように短く鳴らされる瞬間が多く、その呼吸の置き方が、ダンスチューンでありながら余白のある聴き心地を生んでいる。イントロからサビへ向かう数十秒だけを取り出しても、音数の足し引きに迷いがない。祭りの支度が整っていく過程を、そのまま音の重なりで見せられているような感覚がある。
そこにジャケットのねぶたが重なると、この曲がまとう性格がもう少し立体的に見えてくる。南米由来の陽気なリズムを鳴らしながら、視覚的には東北の夏祭りの熱量を借りている。曲そのものが特定の土地に根ざした祭りではなく、いくつもの土地の祭りの記憶を合成して作られた、架空の「夏」を描いているように思える。コカ・コーラという全国区の飲料のキャンペーンソングだったことを思えば、それは自然な選択だったのかもしれない。誰か一人の思い出ではなく、多くの人がそれぞれの記憶を重ねられる余白を、あえて残してあるように聴こえる。実際に手を動かしてねぶたを制作した職人の写真を、東京発のポップソングのジャケットに使うという選択そのものが、都市の消費文化と地方の手仕事という、本来なら交わりにくい二つの時間軸を無理やり隣り合わせにしているようにも見える。ねぶたは一年をかけて作られ、祭りの数日間だけ街を練り歩いたのち、多くは解体されてしまうと聞く。長い制作期間と短い本番、そしてその後の解体という流れそのものが、この曲のタイトルが指し示す時間の構造と重なっているように思えてならない。
「長く短い」という言葉が指す、時間のねじれ
この曲の歌詞を丸ごと引用することはしないが、そのかわりに、歌詞が描いている時間の感覚について考えてみたい。タイトルの「長く短い」という矛盾した形容は、祭りという行事が持つ非対称な時間をそのまま言い当てている。準備には何ヶ月もかかり、後片付けにも時間を要するのに、灯りが灯っている本番の時間そのものはあっという間に過ぎていく。歌詞の言葉数は決して多くなく、情景を細かく説明するタイプの詞ではない。むしろ、勢いのある言葉を重ねてリズムに乗せることで、聴き手の体を先に動かしてしまうタイプの詞だと感じる。恋愛の直接的な痛みというより、夏という季節そのものに身を委ねる高揚感が前面に出ている。だからこそ、この曲の歌詞は、一度立ち止まってじっくり意味を掘り下げるというより、リズムに引っ張られながら瞬間的に体感するための言葉として機能しているように思う。その割り切りの良さは潔く、CMソングとしての即効性を強く支えている一方で、聴くたびに解釈が変わっていくような多層的な余白はやや控えめだ。言葉そのものの強さよりも、言葉がビートに乗ったときの気持ちよさで勝負している詞だと感じる。それでも「長く短い」というタイトルの一語だけは、聴き終えたあとにふと立ち止まらせる力を持っている。準備と本番と後片付け、その三つの時間の長さが釣り合わないという、誰もが一度は感じたことのある感覚を、たった六文字で言い当てているからだ。
児玉裕一監督のMVが見せる、もうひとつの顔
「長く短い祭」の公式ミュージックビデオは、椎名林檎の作品を数多く手がけてきた映像監督の児玉裕一氏によるもので、2015年8月5日に「神様、仏様」と同時に公開されたと報じられている[4]。ロッキング・オンの記事は、このMVについて「この楽曲のMVを観た人は、この曲がもうひとつの顔を持っていることを感じて胸がざわめくのではなかろうか」と評し、ポップな曲調の裏にある獰猛さがMVではあえて剥き出しにされていると書いている[5]。CMソングとして親しみやすいダンスチューンでありながら、映像を通して見せられる表情は、音だけで聴いていたときの印象を裏切ってくる。この落差こそが、この曲のMVを単なる販促映像で終わらせていない理由だと思う。児玉裕一氏は椎名林檎の作品において長く映像面を支えてきた監督であり、のちにMV単独の上映会やトークライブが開かれるほど、両者の信頼関係は深い[6]。「ミュージックビデオはモニターを使った音楽の体験装置」だと語る児玉氏の姿勢は、この曲のMVにも表れているように感じる[7]。ただし、具体的な色彩設計やロケーション、カット割りの詳細まではメディア上の情報だけでは確認しきれない部分があり、断定的に語ることは避けたい。それでも、CMソングという一過性で終わりがちな企画の中で、映像単体としても語り継がれる強度を持たせた点は、公式MVの確かな手応えとして記録しておきたい。
チャートの数字と、当日限りの熱量
先に触れたとおり、この曲はiTunesの週間ソングチャートで先行1位となり、発売週のオリコン週間シングルランキングで6位、Billboard JAPAN Hot 100では週間2位を記録したとされている[1][3]。CMソングという性質上、テレビで流れている期間は認知が一気に広がり、数字にも表れやすい一方で、キャンペーンが終われば話題としての熱は急速に冷めていく。数字が語るのは、あくまで「その時期にどれだけ多くの人が同時にこの曲を求めたか」であって、一人ひとりがその夏をどう過ごしたかまでは教えてくれない。チャートの順位というのは、大勢の一瞬が積み重なってできる山であって、個人の記憶の長さとは別の時間軸で動いているのだと思う。CMソングという成り立ち自体が、そもそも「多くの人に、短い期間で、一斉に届く」ことを前提に設計されている。だからこそ、そこに書き込まれた音楽的な作り込みの丁寧さが、逆説的に際立って聴こえる。使い捨てられて当然の枠組みの中で、聴くたびに発見のある密度を持たせようとした跡が、随所に感じられるのだ。実際、この曲はのちに椎名林檎のライブでも繰り返し演奏されており、単発のCMソングという役割を超えて、彼女のライブレパートリーの中に定着していったこともうかがえる[8]。
屋形船の一時間と、竹林を抜ける風
東京で働いていた頃、隅田川花火大会の日に、仕事関係の知人たちと屋形船に乗せてもらったことがある。予定を調整し、浴衣を用意し、当日を指折り数えて待っていたのに、実際の花火は正味一時間ほどで終わってしまった。船を下りたあとの帰り道の混雑のほうが、体感としては花火そのものより長く感じられたくらいだ。「長く短い祭」を聴くと、あの晩の時間の歪みがそのまま音になって流れてくるような感覚がある。曲の疾走感のあるビートは、まさに「気づけば終わっている熱狂」を先取りして鳴らしているかのようだ。花火が上がっている間だけ、周りの誰もが同じ方向を向いて、同じ一瞬に集中する。あの束の間の一体感を、この曲のダンサブルなリズムはうまく再現しているように聴こえる。翌朝、いつも通りに出社して、昨夜の花火のことなど誰も口にしなかったのも印象に残っている。祭りの熱は、その場を離れた瞬間から急速に日常の温度に戻っていく。あの落差の速さを思い出すたび、この曲のテンポの良さが、単なる盛り上げ役以上の意味を持っているように感じられる。
磐田に戻ってからは、地域の祭りに触れる機会がまた違った形で増えた。地元の祭りには、都会のイベントとは違う、世代を超えて受け継がれてきた重みがある。何十年も前から同じ時期に同じ通りを練り歩く行列があり、それを見に来る家族の顔ぶれも、少しずつ入れ替わりながら続いている。祭りの当日、山車の灯りが遠ざかっていくのを見送りながら、来年もまたこの音を聴けるだろうか、とふと思う瞬間がある。長く続いてきたものであるはずなのに、目の前の一瞬はいつも短い。この曲のタイトルは、その感覚を過不足なく言い当てているように思える。太鼓の音が遠のいていくと、街は驚くほど早く普段の静けさに戻る。その切り替わりの速さもまた、この曲が鳴らしているスピード感と重なるところがある。
参考リンク
- [1] 長く短い祭/神様、仏様 - Wikipedia
- [2] 椎名林檎|『長く短い祭 / 神様、仏様』特設サイト - UNIVERSAL MUSIC JAPAN
- [3] 椎名林檎『長く短い祭/神様、仏様』本日8/5リリース 両曲のMVを公開 - Billboard JAPAN
- [4] 椎名林檎「長く短い祭」「神様、仏様」MVを同時公開 - SPICE
- [5] 椎名林檎が“長く短い祭”で仕掛けた罠について - rockinon.com
- [6] 椎名林檎、児玉裕一監督とMV上映会&トークライブ開催 - Billboard JAPAN
- [7] 椎名林檎、児玉裕一監督とともにMVを語る - Real Sound
- [8] 椎名林檎、台湾で1万人熱狂させた“長く短い祭” - 音楽ナタリー
祭りが長い準備と短い本番でできているように、家や土地の整理にも、長い年月と、決断の一瞬があります。
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