ある楽曲を、書き手が誰かにあてて書いたのだと知ってから聴き直すと、印象がまるで変わることがあります。「獣ゆく細道」は、椎名林檎が作詞作曲を手がけ、そこに宮本浩次(エレファントカシマシ)を迎えて完成した楽曲です。椎名は、曲がある詩人の筆致を求めていることに気づき、彼のメッセージをこの曲の中で自分なりに要約したいと考えて共演を実現させたと伝えられています[4]。曲が先にあり、声はあとから呼び寄せられた。そういう成り立ちを知ると、この曲を単なる豪華な顔合わせとしてではなく、1つの人格が自分の中の異なる部分を、2つの声に分けて表に出したもののように聴くこともできます。椎名林檎の声は削ぎ落とされ、抑制されている。宮本浩次の声は、感情がそのまま外にあふれ出ている。同じ曲の中に同居しているのに、まったく違う発声の仕方をする2人の声を追いかけていると、自分の中にもそういう2つの部分があることを思い出させられます。抑えている自分と、抑えきれない自分。ふだんは片方だけを表に出して生きているけれど、本当はどちらも自分の一部なのだと、この曲は静かに教えてくれます。
私がこの曲を初めて意識したのも、テレビの前でした。ニュース番組のエンディングに流れてくる曲というのは、たいてい聞き流してしまうものですが、この曲だけは、椎名林檎の声のあとに宮本浩次の声が重なった瞬間、手を止めて画面を見てしまいました。派手な演出があったわけではありません。ただ、あまりに質の違う2つの声が、同じ旋律の上で違和感なく共存していることに驚いたのだと思います。それから何年も経ちますが、この曲は私にとって、東京で働いていた日々と、磐田に戻ってからの日々をつなぐ1本の細い道のようなものになっています。
報道番組のテーマ曲として書かれた曲
「獣ゆく細道」は2018年10月2日、デジタル配信シングルとしてリリースされました。作詞・作曲は椎名林檎、編曲は長年のパートナーである笹路正徳です[1][2]。この曲は、同年10月1日にリニューアルされた日本テレビの報道番組「news zero」の新しいテーマソングとして、椎名林檎が書き下ろしたものだと伝えられています[2][3]。有働由美子氏をメインキャスターに迎えた新体制のスタートに合わせて曲がお披露目されたということ自体、椎名林檎という表現者への信頼の厚さを物語っています。ニュース番組の主題歌という枠組みでありながら、時事的な出来事ではなく、もっと個人的な、生きることの手触りに向き合った曲になっている点が、この曲を息の長いものにしているように感じます。のちに本作は椎名林檎の6作目のアルバム『三毒史』にも収録され[2]、宮本浩次自身のソロアルバム『宮本、独歩。』にも収められています[2]。1回限りの企画にとどまらず、双方のキャリアの中に居場所を得た曲だということが、この一点からもうかがえます。
報道番組の主題歌というのは、本来もっと機能的な音楽であることが多いものです。番組の顔として毎日同じ数秒間流れることを前提に、耳あたりのよいフレーズが選ばれがちです。ところが「獣ゆく細道」は、そうした機能性を優先した曲ではありません。むしろ、聴くたびに違う表情を見せる、鑑賞に堪える1曲としての強度を持っています。ニュースという、日々移り変わる出来事を扱う番組の裏側に、変わらない曲があり続けたこと自体が、当時の視聴者にとって1つの支えになっていたのではないかと想像します。
宮本浩次の起用については、椎名林檎自身が「曲がある詩人の筆致を求めていることに気づいた」という趣旨のコメントを残しています[4]。エレファントカシマシのフロントマンとして長く活動してきた宮本浩次が発してきたメッセージを、この曲の中で自分なりに要約できないかと考えたことが、共演のきっかけだったと伝えられています[4]。椎名林檎と宮本浩次にとってこれが初共演だったこともあり、ニュース番組のテーマ曲という枠を超えて、当時大きな話題を呼びました[5]。曲は2018年10月1日の「news zero」放送の中でお披露目され、翌2日から配信が始まったと伝えられており、番組のリニューアルと曲の発表がほぼ同時に進んだ点も、この曲がただの主題歌ではなく、番組そのものの顔として設計されていたことをうかがわせます[2][3]。
ここで興味深いのは、椎名林檎がまず曲の骨格を先に作り、そのあとで歌う相手を選んだという順序です。多くのデュエット曲は、企画段階から2人の歌い手を想定して作られますが、この曲はそうではなかった。曲そのものが持つ「筆致」に足りないものを埋める存在として、宮本浩次が呼ばれた。曲が先に自立していたからこそ、あとから加わった声が違和感なく溶け込んだのではないかと、私は聴くたびに感じます。
仕事の場でも、似たようなことを何度か経験しました。最初から複数人で企画を立ち上げるより、まず1人がたたき台をきちんと形にしてから、そこに必要な力を持つ人を後から呼ぶほうが、結果としてうまくいくことが多い。骨格がしっかりしているからこそ、あとから加わる人は遠慮なく自分の色を出せる。逆に骨格が曖昧なまま人数だけ増やすと、誰の色も出せないまま終わってしまう。「獣ゆく細道」の成り立ちは、音楽の話でありながら、仕事における協働のあり方についても、静かに何かを語りかけてくるように思います。
チャートと評価
「獣ゆく細道」は配信後、iTunes Storeの週間ランキングで1位を、Billboard JAPAN Hot 100では週間6位を記録し、日本レコード協会からゴールドディスクの認定を受けたと伝えられています[2]。曲の披露は「news zero」だけにとどまらず、同月にはテレビ朝日「ミュージックステーション」にも2人揃って生出演したと報じられています[6]。編曲を手がけた笹路正徳は、ゴージャスで妖艶な、ビッグバンドジャズを思わせるサウンドを作り上げたと評されています[2]。管楽器が厚みを持って鳴る中で、2つの声が渡り合っていく構成は、テレビの主題歌にしては手の込んだ作りだと感じます。派手な打ち込みに頼らず、生の演奏の質感を前面に出したアレンジだからこそ、2人の声の違いがより際立って聴こえるのだと思います。
デジタル配信限定のシングルでありながら、これだけの成績を残したという事実は、当時の音楽の届き方の変化も物語っています。パッケージを買うという行為を経由せずに、テレビで曲を聴いた人がその場でスマートフォンから曲を探し、そのまま再生する。そういう聴かれ方をした最初期の曲の1つが、この「獣ゆく細道」だったのかもしれません。生放送の緊張感がそのまま数字に反映されたような立ち上がりの早さは、テレビとデジタル配信が結びついた時代ならではの現象だったように思います。
2つの声が並ぶことで見えるもの
音楽評の中には、このデュエットの聴きどころを、2人の声が驚くほど自然に重なり合う瞬間に見出すものもあります[2]。長年一緒に歌ってきたユニットのような一体感がありながら、それぞれの声の質はまったく違う。椎名林檎の声は輪郭を絞り込み、必要最小限の情報だけを届けようとしているように聴こえます。宮本浩次の声は、感情の起伏をそのまま音量や震えに変換して届けようとしているように聴こえます。この2つが交互に、あるいは重なって進んでいく構成は、対立する2つのやり方が、実は同じ曲を成立させるために互いを必要としていたことを示しているように感じられます。
Bメロにあたる部分では、2人の声が短く重なり合う瞬間があり、そこには十数年ともに歌ってきたユニットのような息の合い方がある、という指摘もあります[2]。初共演とは思えないほどのハーモニーの精度が、この曲を単なる話題性だけの企画に終わらせなかった要因の1つだったのだろうと思います。
面白いのは、どちらの声が主でどちらが従、という関係になっていないことです。椎名林檎が抑えた声で歌う場面では、宮本浩次の声も控えめに、林檎の輪郭を壊さないように寄り添っているように聴こえます。逆に宮本浩次が声を張り上げる場面では、椎名林檎の声も呼応するように熱を帯びていく。固定された役割分担ではなく、曲の進行に合わせて、互いが互いの温度に合わせていくような柔らかい関係性がそこにはあります。単に対照的な2つの声を並べただけでは、こうした呼応は生まれなかったはずです。
東京で働いていた頃、優秀な人が2人集まると、かえって物事が進まない場面をよく見ました。互いのやり方を譲らず、結局中途半端な妥協案に落ち着く。本当に噛み合うコラボレーションというのは、実はとても難しいものです。だからこそ、方法論がまるで違う2人が、互いのやり方を尊重したまま1つの曲を成立させているように聴こえるこの曲には、単純な音楽的感動を超えたものを感じます。「獣」という言葉には、理性で飼い慣らされる前の剥き出しの衝動という響きがあり、「細道」という言葉には、大きな道ではなく危うく心もとない道という響きがあります。この2つが組み合わさったタイトルは、平坦ではない道を、それぞれの流儀を殺さずに歩いていく、という宣言のように聞こえます。
児玉裕一監督が刻んだ、獣の生き様
「獣ゆく細道」には公式ミュージックビデオがあり、椎名林檎本人の公式YouTubeチャンネルで配信開始と同時に公開されました[7]。監督を務めたのは、椎名林檎作品のミュージックビデオを数多く手がけてきた児玉裕一です[7][8]。児玉は公開にあたり、「自分自身と孤独に闘い続ける獣。その生き様を垣間見てしまったときの瞬間が、ヤバさが、しっかりとこの映像に刻まれたと思います」という趣旨のコメントを残しています[7]。曲のタイトルにある「獣」という言葉を、比喩としてではなく、映像の中心に据えた演出だと捉えることができます。ダンスシーンの振付は、Perfumeの振付などで知られるMIKIKOが手がけたと伝えられており[8]、抑制と噴出という2人の声の対比が、身体の動きの上でも表現されているようです。
音だけで聴いていると、椎名林檎と宮本浩次という2人の人間の対比として受け取ってしまいますが、児玉監督のコメントを踏まえて見直すと、この映像はもう少し普遍的な問いを投げかけているように感じます。誰の中にも、理性で飼い慣らす前の獣のような衝動があり、それを抱えたまま、心もとない細道を歩き続けている。MVはその状態を、特定の物語として説明しすぎることなく、身体の動きと画面の質感だけで見せようとしているように映ります。派手なストーリー展開に頼らず、2人の存在そのものを見つめさせる作りだからこそ、曲を聴くだけでは気づけなかった緊張感が、映像を通して初めて伝わってくる部分があります。公式MVがあることで、この曲がテレビの主題歌という枠を超え、単体の作品として鑑賞されるべきものだと、あらためて示されたように思います。
磐田で聴く、2つの生き方
磐田で家や土地の相談を受けていると、家族の中にも、椎名林檎のような人と宮本浩次のような人がいることに気づきます。感情を内に溜め込み、言葉少なに物事を進める人。感情をそのまま表に出し、声を大きくして訴える人。どちらが正しいということはなく、両方のやり方があって初めて、家族という単位はバランスを保てているのだと感じることがよくあります。相続や空き家の相談の場でも、静かに座っている家族の1人と、感情を露わにして意見する別の1人が、実は互いを補い合っていることに気づく瞬間があります。黙っている人が実は一番先まで考えていて、声を荒らげる人が実は一番不安を抱えている。そういう組み合わせを何度も見てきました。
仕事から帰って自分の家の玄関をくぐるとき、ふと、この曲の2つの声のことを思い出すことがあります。外では抑制していた部分と、家の中でだけ出せる部分。その両方があって、ようやく自分という1人の人間の輪郭が成立しているのだと思います。土地の話をしていても、最後には必ず、そこに暮らしてきた家族の話になります。家というのは建物であると同時に、そこに住んだ人たちの声の記憶でもあります。静かな声で交わされた約束と、感情のこもった言い争い。そのどちらもが、その家の歴史を形作っています。
「獣ゆく細道」が教えてくれるのは、対照的なもの同士は、対立するためではなく、互いを完成させるために出会うことがある、ということです。椎名林檎の静けさは、宮本浩次の熱がなければ、その静けさの深さが伝わらない。宮本浩次の熱は、椎名林檎の静けさがなければ、ただの熱狂で終わってしまう。人と人との関係も、家族の中の役割分担も、本質的には同じ仕組みで成り立っているのではないかと、この曲を聴くたびに思います。細く心もとない道でも、異なる歩き方をする者同士が並んで歩けば、道はきっと続いていきます。磐田の空の下でこの曲を聴くとき、私はいつも、東京で見た2つの声の記憶と、今ここにある家族や土地の記憶を、同じ1本の道の上に置き直しています。
参考リンク
- [1] 椎名林檎 オフィシャルサイト リリース告知
- [2] 獣ゆく細道 - Wikipedia
- [3] skream! 「news zero」主題歌決定の記事
- [4] 音楽ナタリー 「獣ゆく細道」コラボ経緯の記事
- [5] ORICON NEWS 椎名林檎、宮本浩次との初コラボ記事
- [6] Billboard JAPAN 「Mステ」生出演に関する記事
- [7] 椎名林檎 オフィシャルサイト MV公開告知
- [8] BARKS 「獣ゆく細道」MV公開に関する記事
対照的な2つの声が1本の道を並んで歩くように、家や土地にも、異なる立場の人たちが積み重ねてきた記憶が残っています。
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