ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=qrVxEBIKwco
確認した動画: Miree(Suchmos - Topic / 公式系チャンネル)

大石セレクション:曲がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★★
  • 歌詞がいい:★★★★☆
  • MVがいい:★★☆☆☆

選定理由:この曲の最大の魅力は、まだ無名だった時期のバンドが鳴らしていた、都会と海辺が同居する独特のグルーヴにある。軽やかなギターのリフ、浮遊感のあるキーボード、抑えられた音数の中で生まれる間合い。歌詞にも記憶に残る言葉があり、決して弱くはないが、聴くたびに発見があるのはやはりメロディと音の重なりの方だと感じる。MVについては、公式のミュージックビデオという形では確認できず、確認できたのはリリックビデオとライブ映像である。映像面での評価は控えめにならざるを得ないが、音そのものの強さがそれを補って余りある一曲であるため、主視点は曲がいいに置いた。

「Miree」という曲名を最初に見たとき、どこの言葉なのか分からないまま、なぜか耳に残った記憶があります。調べてみると、この曲はSuchmosがまだ広く名前を知られる前、2015年4月にリリースした1st EP『Essence』に収められていた4曲のうちの1曲でした。同年7月に発表された最初のフルアルバム『THE BAY』にも、そのままの「Miree」と、アルバムの最後を締めくくる「Miree BAY ver.」という2つの姿で収録されています。同じ曲を2度、しかも違う手触りで置くという構成そのものが、バンドがこの曲に特別な信頼を置いていたことを物語っているように感じます。世に広く知られる「STAY TUNE」より前、まだ何者でもなかった頃の彼らが持っていた手探りの感触が、この曲には残っています。軽やかなギターのリフと、浮遊するようなキーボードの重なりは、都会の夜というより、湘南の湿った潮風を思わせる響き方をします。ファンクやヒップホップの語彙を借りながらも、歌ものとしての輪郭がはっきりしているところが、当時のSuchmosの楽曲の中でも珍しい部類に入るのではないかと思います。何かが始まる前の、まだ形になりきらない予感。この曲を聴くたびに、そういう時間の質感を思い出します。派手な仕掛けはなく、むしろ抑えられた音数の中で、ボーカルの息づかいや、楽器同士の間合いがそのまま伝わってくるような作りです。完成された作品というより、これから何かが育っていく途中の姿を、そのまま音に閉じ込めたような曲だと感じます。何度も聴き返しているうちに、この曲がなぜこれほど長く記憶に残るのか、少しずつ分かってきたように思います。それは、曲そのものの完成度の高さだけでなく、まだ何も証明されていない時期のバンドが持つ、独特の緊張感が刻み込まれているからではないかと感じます。完成された名声の上に成り立つ音楽ではなく、これから積み上げていく途中の音楽だからこそ、聴くたびに新しい発見があるのかもしれません。

まだ無名だった頃に生まれた曲

「Miree」がSuchmosの代表曲として広く語られることは、正直なところそれほど多くありません。2016年以降に「STAY TUNE」で注目を集め、2017年1月25日発売の2ndアルバム『THE KIDS』でオリコン週間アルバムランキング2位、初週7万5千枚とされる数字を記録し、バンドとして初めてトップ10入りを果たしたことに比べると、「Miree」が生まれた2015年前半は、まだ彼らが世に知られる手前の時期でした。神奈川県で育った5人(のちに編成は変化しています)によって2013年に結成されたこのバンドは、ロック、ジャズ、ヒップホップといったブラックミュージックの語彙を吸収しながら、独自のグルーヴを磨いていました。ボーカルのYONCEは湘南・茅ヶ崎の出身で、自らの土地を背負うようにステージに立ち続けてきたと伝えられています。「Miree」はそうした、まだ評価が定まりきっていない時期に作られた曲だからこそ、後年のヒット曲にはない生々しさを持っているように聴こえます。後に大きな成功を収めるバンドの曲を、その成功が形になる前の段階から聴いていたことに気づくと、少し不思議な気持ちになります。当時は誰も、この先の展開を確信できていなかったはずです。それでも彼らは、目の前の1曲を丁寧に作り続けていました。結果が保証されていない中で積み重ねる仕事の質は、後から振り返ったときにこそ、その価値がはっきりと見えてくるものなのかもしれません。バンドは2021年に活動を一時休止し、2025年6月には横浜アリーナでの公演をもって再始動したと伝えられています。長い時間の中で活動を止め、また戻ってくるという歩み方そのものが、彼らの音楽に流れている、急がず自分たちのペースを守る姿勢と重なって見えます。「Miree」が生まれた頃には、そんな未来をまだ誰も想像していなかったはずです。

同じ曲を、二度置くという判断

『THE BAY』というアルバムの中で、「Miree」は3曲目に置かれ、さらにアルバムの最後には「Miree BAY ver.」という別テイクが用意されています。同じ曲を2つの姿で聴かせるという構成は、単なる余韻づくりというより、この曲がアルバム全体の輪郭を決める重要な軸だったことを示しているのではないかと感じます。歌詞の内容にはあえて触れませんが、洗練された曲調とは裏腹に、ためらいや率直な感情がにじむ言葉が綴られていると評されることが多く、そのギャップこそがこの曲の魅力の核にあるように思います。コードの上がり下がりが滑らかで、緊張と弛緩が心地よく交互に訪れる作りは、聴くたびに違う表情を見せてくれます。派手なフックに頼らず、じわじわと効いてくるタイプの曲だからこそ、アルバムを締める役割も担えたのだと思います。冒頭に近い位置に置かれた「Miree」が、アルバムの最後で少し姿を変えて戻ってくる。その構成を辿っていくと、ひとつの物語を最初と最後で少しだけ違う角度から見せられているような感覚になります。同じ旋律なのに、聴く順番によって印象が変わる。そういう仕掛けを、まだキャリアの浅い時期のバンドが自然にやってのけていたことに、あらためて感心させられます。「Miree BAY ver.」がどのように元のテイクと異なるのか、詳細を厳密に言葉にするのは難しいのですが、聴感としては、より空気を含んだ、余白の多いアレンジに感じられます。アルバムを締めくくるという役割の中で、勢いよく終わるのではなく、少し息を抜くようにフェードしていく。そういう終わり方を選んだところにも、若いバンドらしからぬ落ち着きを感じます。

東京で聴いていた、まだ何者でもない曲

東京で働いていた頃、まだ評価の定まらないものに賭ける瞬間が何度かありました。取引先の中には、実績のない相手だからという理由で話を聞いてもらえないこともあれば、逆に、まだ無名だからこそ丁寧に向き合ってもらえたこともあります。「Miree」を初めて聴いたのも、そういう時期でした。後に大きな注目を集めるバンドになると知らないまま、ただ曲の質感だけで気になった記憶があります。何者かになる前の作品には、完成された作品にはない、探り探りの緊張感が残っています。当時の自分の仕事にも、似たような手探りの時間が確かにありました。結果が見える前の、まだ形になりきらない努力を、この曲は思い出させてくれます。深夜、誰もいないオフィスで資料を作りながら、この曲を小さな音量で流していたことがあります。まだ成果と呼べるものが何もない時期に、それでも手を動かし続けるしかない時間。「Miree」の抑えたグルーヴは、そういう夜の静けさとよく馴染みました。焦って結果を急いでも、良いものにはならない。むしろ、まだ何者でもない時間をどう過ごすかが、後の質を決めるのだと、今になって思います。あの頃は気づいていませんでしたが、無名の時間そのものに意味があったのだと、この曲を聴き返すたびに感じます。同僚の中には、早くに結果を出して評価される者もいれば、なかなか芽が出ずに焦っている者もいました。今振り返ると、後者の中にこそ、じっくりと力を蓄えていた人が少なくなかったように思います。すぐに結果が見える仕事だけが価値を持つわけではない。まだ何者でもない時間の中で積み重ねたものが、いつか別の形で花開くことがある。「Miree」を聴くと、そういう遠回りに見える時間の価値を、あらためて信じたくなります。

都会と海辺、2つの気配が同居する音

Suchmosの音楽はよく「シティポップ」という言葉とともに語られます。都会的で洗練されたコード進行や、洗練されたグルーヴ感は、確かに首都高を走る夜のドライブのイメージと結びつきやすいものです。けれど「Miree」を聴くと、その都会的な洗練の奥に、もう少し違う気配も感じ取れます。YONCEが背負い続けている湘南・茅ヶ崎という土地の空気、波の音や潮風のような湿度が、洗練されたサウンドの中にひっそりと混じっているように聴こえるのです。都会の光と、海辺の湿った空気。相反するように思える2つの気配が、無理なく同居しているところに、この曲の独特の質感があります。ファンクやヒップホップという、本来は都市的な音楽の語彙を使いながら、根っこの部分には土地の記憶がある。そういう二重性が、「Miree」という曲の輪郭をやわらかくしているのではないかと感じます。単なるお洒落な曲としてではなく、特定の土地に根ざした人間が鳴らす音として聴くと、また違う奥行きが見えてきます。磐田も海に近い土地です。遠州灘の風は、湘南の潮風とは違う質感を持っていますが、土地の記憶が音楽や暮らしの端々に滲み出るという点では、どこか通じるものがあるように感じます。自分がどこで育ち、何を背負っているかを隠さずに音に出す姿勢は、都会で洗練を装うことよりも、よほど誠実な態度なのではないかと思います。

磐田で振り返る、始まりの手触り

磐田で家や土地の相談を受けていると、まだ何も決まっていない、いちばん最初の相談の場面に立ち会うことがよくあります。相続をどうするか、空き家をどう扱うか。答えが見えないその時間は、当事者にとって不安な時間であると同時に、後から振り返れば、その後のすべての判断の土台になっている時間でもあります。Suchmosが「Miree」を、まだ多くの人に知られていなかった時期に、それでも2度も丁寧に配置したように、まだ評価の定まらない段階にこそ、丁寧さを尽くす価値があるのだと思います。この曲を聴くと、結果が出る前の時間を軽んじてはいけないと、静かに思い出させられます。家族で最初に交わす会話は、たいてい結論の出ないまま終わります。それでも、その手探りの会話があったからこそ、後の決断に納得感が生まれることを、これまで多くの相談の中で見てきました。夕方、事務所から見える磐田の空が少しずつ色を変えていく時間に、この曲を流すことがあります。まだ何者でもなかった頃のSuchmosの音が、これから何かを決めようとしている家族の時間と、静かに重なって聴こえます。何者かになる前の時間を、丁寧に扱うこと。「Miree」という曲は、そのことを何度でも思い出させてくれる1曲です。妻や子どもと過ごす食卓の会話も、たいていは結論のないまま終わります。それでも、そういう積み重ねが、家族の判断の土台になっていくのだと感じています。まだ形になっていないものを、焦らずに育てていくこと。Suchmosがまだ無名だった頃に「Miree」を丁寧に作り上げたように、磐田での日々の仕事も、家族との時間も、すぐに答えの出ないところから始まっています。この曲を聴くたびに、そのことを静かに思い出します。