鈴木聖美「さよならできないKISSなんかしないで」は、アルバム『聖歌(Ballad)』に収められた一曲です。同アルバムは1993年9月1日に発売されたとされ、全12曲中9曲目にこの曲が置かれています。鈴木聖美は1987年4月1日、「鈴木聖美 with Rats&Star」としてシングル「シンデレラ・リバティ」でメジャーデビューを果たしました。当時34歳という、ポップスの世界では遅咲きのスタートだったと伝えられています。デビュー1作目のアルバム『Woman』は大人の支持を集めて大ヒットとなり、その後ソロ名義での活動を重ねる中で、この曲は生まれています。タイトルがすでに一つの態度を宣言しています。曖昧な別れ方をしない、中途半端なキスで気持ちを誤魔化さない。そう言い切る強さが、この曲の芯にあります。
鈴木聖美には4歳年下の弟がいます。歌手の鈴木雅之です。姉が音楽を志す以前から、弟はいつも後ろをついて一緒に音楽を聴いていたと、鈴木聖美自身がインタビューで振り返っています。弟の雅之が先にシャネルズのメンバーとしてプロデビューを果たし、その後、雅之の勧めで姉がアマチュアとしてステージに立ったことが、鈴木聖美自身のデビューにつながったと伝えられています。姉弟の音楽的な結びつきは、単なる血縁を越えて、互いの活動を押し上げ合う関係だったようです。
のちに1988年のアルバム『Cotton』では雅之がプロデュースを手がけ、姉弟デュエットの楽曲も生まれました。「さよならできないKISSなんかしないで」がある『聖歌』は、その少しあとの時期の作品にあたります。SUZUKIという名義や姉弟での共演は、のちのちまで鈴木聖美というアーティストを語るうえで欠かせない要素になっていきますが、この曲自体はソロでの一人称の歌として、静かに屹立しています。若い頃はこの曲を、ただかっこいい別れの歌として聴いていました。けれど年齢を重ねてから聴き直すと、別れを引き延ばさないという選択には、相手への誠実さが含まれていることに気づきます。曖昧にしたまま関係を続けることは、優しさに見えて、実はどちらの時間も止めてしまう行為です。鈴木聖美の声は、その優しい怠慢を許さない強さを持っています。
大田区で育った耳と、都会的なバラードの声
鈴木聖美は東京・大田区の出身で、近所に住んでいた親戚のおじさんが聴かせてくれた洋楽レコードが、音楽を好きになったきっかけだったと本人が語っています。家庭ではFEN(在日米軍向けラジオ)も流れていて、当時流行していたカバー曲を通じて自然と英語の音楽に触れていたということです。とりわけ黒人歌手の声に強く惹かれていたとも述べていて、その興味は小学校高学年の頃からすでに芽生えていたと振り返っています。その耳の記憶が、のちの歌唱に色濃く反映されているように聴こえます。ハスキーで芯のある声質は、可憐さを演じるのではなく、大人の女性としての等身大の感情を伝えるために使われている、と感じます。
「さよならできないKISSなんかしないで」というタイトルの言い切り方には、当時の歌謡曲的な湿り気とは一線を画す、乾いた都会性がにじんでいるように聴こえます。バラードとして括られながらも、感傷に流れきらないところに、この曲の輪郭の強さがあるのではないでしょうか。作詞・作曲のクレジットについては複数の情報源で確認しきれていない部分があり、ここでは断定を避けますが、『聖歌』というアルバム全体が、不倫や家族愛といった大人の生き方をテーマに据えていたことは、レコチョクのアルバム紹介にも記されています。恋愛の歌でありながら、そこに人生の重みが同居しているのは、そうした企画意図と無関係ではないはずです。サビに向かって声の強度を少しずつ上げていく構成も、感情を爆発させるためというより、言葉を一つずつ確かめながら前に進むための構成のように聴こえます。
鈴木聖美は20代の頃、バンドのボーカリストとしていくつものコンテストで優勝しながらも、結婚を機に一度音楽から離れたと伝えられています。その後、2人の子どもを育てながら一般の仕事に従事していた時期を経て、弟の勧めでアマチュアとしてステージに立つ機会を得たことが、34歳という遅咲きのデビューにつながったということです。仕事と家庭を経てから戻ってきた声だからこそ、この曲の言い切り方には、若さゆえの勢いとは違う、実感の裏づけがあるように感じられます。
正確な順位より、残った聴かれ方
この曲がオリコンチャートでどの位置にあったのか、今回の調査では確たる数字にたどり着けませんでした。売上枚数や週間順位を明記した一次資料は見つからず、断片的な情報を積み重ねるだけでは、正確な数字として書くことはできません。ただ、鈴木聖美というアーティストの立ち位置を振り返ると、デビューアルバム『Woman』が60万枚を超える大きな支持を得た一方で、『聖歌』のようなアルバムに収められた一曲一曲は、必ずしもヒットチャートの中心にいた曲ではなかったと考えられます。
それでも、こうして長く歌詞検索サイトやカラオケの選曲リストに残り続けているという事実そのものが、チャート成績とは別の物差しで、この曲が聴かれ続けてきたことを物語っているように思います。派手さよりも、歌そのものの説得力で残ってきた曲なのではないでしょうか。ヒットチャートの順位という数字は、その時代の空気を測る一つの指標にはなっても、曲そのものの寿命を決めるものではありません。何十年も経ってなお、誰かがふと検索して歌詞を確かめたくなる曲であること自体が、この曲にとってのもう一つの成績表なのだと思います。
1993年という時期は、鈴木聖美にとってすでにデビューから6年ほどが経過し、Rats&Starとのヒット曲で知名度を確立したあとの時期にあたります。派手なヒットチャートの数字を追いかける段階を過ぎて、自分の声で歌いたい曲、自分の等身大の感情を映せる曲に取り組める時期だったのではないかと想像します。『聖歌』というアルバムタイトルそのものが、恋愛や家族といった世俗的なテーマを、どこか祈りにも似た真剣さで歌うという姿勢を示しているようにも読み取れます。チャートの数字には表れない、そうした制作側の熟成が、この一曲の説得力を支えているのではないでしょうか。
東京の仕事終わり、決断を急かされた夜
東京で働いていた頃、取引先との関係や社内の異動の話など、はっきりさせなければならない場面が何度もありました。あるとき、長く付き合いのあった担当者との契約更新の話が、双方とも本音を言わないまま先延ばしになり続けたことがあります。会議のたびに結論を持ち越し、結局半年近く曖昧な状態が続きました。「さよならできないKISSなんかしないで」を当時の帰り道でよく聴いていたのは、その煮え切らなさへの苛立ちを、自分の中で処理するためだったのだと思います。
結局その契約は、こちらから明確に区切りを提案したことで、驚くほどあっさりと決着しました。曖昧にしていた時間の長さに比べて、決断そのものはほんの数分の会話で済んだのです。都会の生活は、関係を自然消滅させることに慣れさせます。連絡が減り、会う頻度が減り、いつの間にか終わっている。それは楽なようでいて、実はどちらの側にも小さな未消化の感情を残します。鈴木聖美の歌う強さは、その未消化を許さない厳しさであり、同時に相手への敬意でもあります。
当時の自分は、はっきりさせることを冷たい行為だと思い込んでいた節があります。曖昧にしておくほうが、相手への配慮であるかのように錯覚していたのです。しかし実際には、結論を先延ばしにするたびに、こちらも相手も少しずつ疲弊していきました。電車の窓に映る自分の顔を見ながらこの曲を聴いていた夜のことは、今でもよく覚えています。あの頃はまだ、区切りをつけることの意味を、頭でしか理解していなかったのだと思います。
東京にいた頃は、住まいも仕事も、いつでも変えられるものだという前提で暮らしていました。転勤や転職の話が出れば、住む場所も付き合う人間関係も、その都度組み替えていく。そういう流動性の中では、関係を明確に終わらせるという行為そのものが、どこか大げさに感じられていたのかもしれません。なんとなく疎遠になる、いつの間にか連絡が途絶える。そのほうが都会的で、傷が浅く済むはずだと思い込んでいました。ですが実際には、はっきりさせないまま終わった関係のほうが、記憶の中で長く尾を引くものです。
磐田で、区切りをつける仕事
磐田に戻り、家や土地、相続に関わる相談を受けるようになってから、この曲の言葉がまた違う意味を持つようになりました。実家をどうするか、空き家をどう扱うか、家族の中で誰がどう関わるか。こうした話は、はっきりさせないまま何年も放置されることが少なくありません。以前担当したある相談では、兄弟間で誰も本音を言い出せないまま、実家の空き家が5年近く放置されていました。曖昧にしておくことは、一見誰も傷つけないように見えて、実際には問題を静かに大きくしていきます。
相談の現場で大切なのは、感情を無視して結論だけを急がせることではありません。ただ、いつまでも決めないことが、家族の誰かに負担を押し付け続けてしまう現実もあります。「さよならできないKISSなんかしないで」が歌うのは、恋愛の場面における潔さですが、その姿勢は家や土地の整理にもそのまま当てはまります。区切りをつけるべき時に、曖昧な優しさで先延ばしにしないこと。それが、結果的に関わる人全員を楽にします。
家や土地は、人間関係よりもさらに動かしにくいものです。建物は黙って古びていき、税金や管理の負担だけが静かに積み重なっていきます。それでも、いざ区切りをつける段になると、多くの家族が最初の一歩を踏み出せずにいます。誰かが悪者になりたくない、という気持ちが、結果として全員の時間を止めてしまうのです。鈴木聖美が歌う強さは、恋愛の場面に限らず、そうした人生の節目すべてに通じる態度なのではないかと、この仕事をするようになってから強く感じるようになりました。
磐田という土地は、東京とは違い、人と人との距離が近く、関係を曖昧にしたまま放置することが難しい場所でもあります。隣近所との付き合いも、家族間の話し合いも、逃げ場が少ない分だけ、いずれは向き合わざるを得なくなります。それは息苦しさでもありますが、同時に、物事をきちんと終わらせる力を育ててくれる環境でもあると感じています。都会で身につけた「はっきりさせない優しさ」を手放し、この土地の時間の流れ方に合わせて、区切りをつける仕事に向き合うようになったのは、東京から戻ってきてからの大きな変化でした。
この曲を聴くと、自分がこれまで下してきた判断のいくつかを思い出します。曖昧なまま終わらせてしまったこと、逆にきちんと向き合って終わらせられたこと。どちらも今の仕事の姿勢につながっています。相談を受ける立場になった今、鈴木聖美が歌う潔さを、決断を急かす言葉としてではなく、逃げずに向き合うための背中を押す言葉として受け取っています。
家族というのは、血のつながりがあるからこそ、逆に本音を言いにくいものです。鈴木聖美と鈴木雅之の姉弟が、互いの音楽活動を支え合いながらも、それぞれ独立した表現者として歩んできたことを思うと、近しい関係だからこそ保つべき節度というものがあるのだと感じます。家や土地の相談の場でも、家族だからこそ言えないこと、家族だからこそはっきりさせるべきことの両方が存在します。その線引きを間違えないことが、結局は誰かを長く苦しめないための、一番静かな優しさなのだと思います。ATAWI MUSICにこの曲を置くのは、別れの歌であると同時に、人が物事に区切りをつける瞬間の美しさを思い出すためです。
ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、人の暮らし、仕事、家、土地、記憶をもう一度読み直す場所です。