ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://youtu.be/msr5o7OC5Eo
確認した動画: 竹内まりや - いのちの歌 [Live Version / 2014 souvenir] / 竹内まりや - Mariya Takeuchi Official YouTube Channel

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★★★☆

選定理由:今回のライブ映像は公式MVではなく、あくまで武道館公演のライブ映像であることを踏まえた上での評価だが、その点を割り引いてもなお、この曲の核にあるのは言葉の強さだと感じる。「生かされていることへの感謝」という一点に絞られた歌詞は、恋愛の一場面ではなく人生全体を見渡す視点で書かれており、聴く側の年齢や境遇によって刺さり方が変わる。卒業式でも結婚式でも、還暦を過ぎた歌い手自身の声でも成立するのは、歌詞が特定の誰かの物語に閉じていないからだ。旋律や武道館でのピアノ一台の演奏も十分に強いが、この曲を主視点として語るなら、まず言葉について語りたい。

竹内まりやの「いのちの歌」は、もともと自分のために書かれた曲ではなかったと聞いて、はじめて腑に落ちるものがありました。この旋律は、2008年度下半期に放送されたNHK連続テレビ小説『だんだん』の劇中で、ドラマの中の架空バンド「シジミジル」が生んだ唯一のオリジナルソングという設定で使われたものです。作曲は村松崇継、作詞は竹内まりやが「Miyabi」という筆名で手がけました。出雲大社や宍道湖をめぐりながら、夏から秋へと移ろう夕映えの湖の光景を目にしたときに旋律が浮かんだと伝えられており、当初は「母なる宍道湖」という器楽曲として先に形になっていたようです。この事実がドラマの外へ明かされたのは、放送から2年以上経った2010年12月、竹内まりや自身のコンサート「souvenir again」のアンコールでのことでした。物語の中の誰かの歌として生まれたものが、静かに作者の手元に戻ってくる。この曲の成り立ちそのものが、すでに「いのちがつながっていく」という主題を先取りしているように思えます。

ここで聴けるのは、2014年のツアー「souvenir 2014」でのライブバージョンです。33年ぶりとなった全国ツアーの千秋楽、12月21日の日本武道館公演の終盤で、竹内まりやはこの曲をピアノ一台の弾き語りで届けたと伝えられています。スタジオ録音の均整の取れた美しさとは違って、その場の呼吸や間、声にわずかに滲む揺れまでもが残っている演奏です。歌詞を引くまでもなく、この歌が語ろうとしているのは、生きることの重さと、それでも続いていくということの静かな肯定なのだと感じます。

劇中歌として生まれ、独立した歌になるまで

「いのちの歌」がはじめて音源として世に出たのは2009年2月、劇中の姉妹という設定にちなんで結成された茉奈佳奈のシングルとしてでした。このときのオリコン最高位は18位だったと伝えられています。決して爆発的なヒットではなかったこの曲が、後年になるほど広く歌われるようになっていったのは、リリース直後の勢いではなく、時間をかけて人から人へ手渡されていったからではないかと思います。竹内まりや自身によるセルフカバーは2012年にアルバム『TRAD』に収録される形で発表され、その後もライブでたびたび取り上げられるようになりました。卒業式や結婚式で歌われる定番曲になり、合唱編曲の楽譜まで作られていることを知ったとき、一つの歌がここまで生活の中に根を下ろすのかと、あらためて考えさせられました。

2020年には竹内まりやのセルフカバー音源を含む盤がオリコン週間シングルランキングで1位を獲得し、当時64歳10か月での首位獲得は同ランキングの歴代最年長記録になったとも伝えられています。発表から10年以上を経てなお、しかも歌い手自身が還暦を過ぎてから、あらためて多くの人に選ばれ直したという経緯には、単なる懐かしさでは説明のつかない力があるように感じます。ヒットチャートというものは本来、発売直後の勢いを測るための指標です。それが十年以上の時間差を挟んで再び動くというのは、この曲が一過性の流行歌としてではなく、人が人生の節目ごとに立ち戻る場所として機能していることの証のように思えてなりません。卒業式で歌う十代の生徒たちと、還暦を過ぎた歌い手自身が同じ旋律を口にしているという事実には、世代をまたいで一つの歌が受け継がれていく様子が、そのまま重なって見えます。

旋律が支える言葉、ピアノが支える声

音楽的な作りとして聴こえてくるのは、メロディがまず先にあり、そこに言葉が慎重に寄り添っていった曲だということです。フレーズの起伏が大きく、サビに向かって少しずつ音域が持ち上がっていく構成は、賛美歌や合唱曲に通じる骨格を持っているように感じます。だからこそ学校や式典の場で歌いやすく、独唱でもコーラスでも成立するのではないでしょうか。もともと器楽曲として先に旋律だけが存在していたという成り立ちを踏まえると、この曲が言葉に頼りきらずに感情を運べる強さを持っているのも、自然なことのように思えます。

ライブバージョンでは、ピアノの一音一音がゆったりと間を取り、竹内まりやの声がその間にそっと乗っていくように聴こえます。伴奏が声を追い越さない、声が伴奏に急かされない。そうした呼吸の合わせ方が、この曲を聴く人の側の時間も一緒にゆるめてくれるように思います。33年ぶりの全国ツアーという長い時間の果てにある一夜だったからこそ、ここでのピアノと声のやり取りには、練り上げられた表現というより、その場でしか成立しない一回性が宿っているように感じられます。伝えられている通り公演の終盤に置かれた曲であったならば、それまでの数十曲を歌い切った疲れと安堵が、声の芯にわずかに残っていたのではないかとも想像します。技巧を見せる場面ではなく、歌い手自身が一人の生活者として立ち尽くしているような瞬間に、この曲は最もふさわしい姿を見せるのかもしれません。

東京で気づかなかった、生きることの意味

東京で働いていた頃、日々をこなすことに精一杯で、生きることの意味をゆっくり考える余裕はほとんどありませんでした。ある年の年末、体調を崩して数日間仕事を休んだことがあります。普段なら気にも留めない天井の模様や、窓の外を歩く人たちの姿を、ただぼんやりと眺めていたときにこの曲が流れてきて、不意に涙が止まらなくなったことを覚えています。生きているという実感よりも、生きていくための処理に追われていた自分に、この曲が静かに問いかけてきたのだと思います。誰かのために書かれ、誰かの声で届けられた歌が、聴く側の記憶を勝手に呼び覚ましていく。歌というものの不思議さを、あのときはじめて実感した気がします。

東京での生活は、多くの出会いと別れを経験させてくれました。うまくいかなかったこと、支えてもらったこと、自分では気づかないうちに誰かに影響を与えていたこと。「いのちの歌」を聴くと、そうした一つひとつの出来事が、決して無駄ではなかったのだと思えてきます。ドラマの劇中で生まれた歌が、作者の名を明かされ、多くの人の生活の節目に寄り添う歌になっていったように、自分の東京での時間もまた、誰かに気づかれないまま、今の仕事につながっていたのかもしれません。当時は気づけなかった小さな出来事の一つひとつが、今になって振り返ると、どこかで今の暮らしや仕事の土台になっている。そういう感覚を、この曲を聴くたびに思い出します。

東京にいた頃は、住まいも仕事も、いつでも取り替えのきくものだと考えていた気がします。次の部屋、次の勤め先、次の人間関係。目の前のことに区切りをつけては、また新しい場所へ移っていく。その速さの中では、一つの土地に長く根を下ろすということの重みを、実感として捉えることができませんでした。「いのちの歌」がもし、劇中の一エピソードのためだけの使い捨ての曲として消費されていたなら、今のように長く歌われることはなかったはずです。時間をかけて根を下ろしたからこそ、多くの人の生活の一部になり得た。当時の自分には見えていなかったその感覚に、今になって少しずつ近づいている気がします。

磐田で、いのちをつなぐ仕事

磐田に戻り、家や土地、相続、介護に関わる相談を受けるようになってから、この曲の意味がさらに深くなりました。相談の現場には、必ず誰かの人生の終わりや、暮らしの終着点が関わってきます。親から子へ、そして孫へと受け継がれていく家や土地。それは単なる資産ではなく、いのちがつながってきた証でもあります。「いのちの歌」が歌う繋がりの感覚は、まさにこの仕事の本質に重なります。

相続や介護の相談では、悲しみや後悔と向き合う場面が少なくありません。もっと早く話しておけばよかった、もっと一緒にいる時間を作ればよかった。そうした思いを抱える方々を前にすると、いのちの重さを改めて感じます。この曲が長い年月をかけて式典や教育の場に根を下ろしていったように、一つの家や土地の物語も、すぐには結論の出ないまま、時間をかけて次の世代へ手渡されていくのだと感じます。ある家の相談を受けたとき、代々受け継がれてきた土地の名義が、何十年も前の相続の際に整理されないまま放置されていたことがありました。書類の整理を一つずつ進めながら、この家に暮らしてきた何人もの人の生活と時間を、あらためてたどり直すような感覚を覚えたことをよく思い出します。名義の上では単なる相続人としか記されない一人ひとりに、それぞれの生活と選択があったはずです。その厚みを想像しないまま手続きだけを進めることは、この仕事において最も避けたいことだと考えています。この曲が伝える「生きていることそのものが尊い」というメッセージは、慰めの言葉としてだけでなく、これから先の選択を考えるための土台にもなります。

手渡されていくものとしての歌

「いのちの歌」がここまで長く聴かれ続けている理由を考えるとき、この曲がはじめから誰か一人の持ち物として書かれたのではなかったという成り立ちが、大きく関係しているように思えてなりません。劇中の架空のバンドの歌として生まれ、作者を伏せたまま世に出て、後になって静かに素性を明かされ、それからさらに何年もかけて式典や教育の場に根を下ろしていく。この歩み方そのものが、家や土地が世代を越えて受け継がれていく過程とよく似ています。最初から完成された形で手元にあるのではなく、時間の中で少しずつ姿を変えながら、次の誰かに手渡されていく。磐田で相続や介護の相談を受けていると、家という存在もまた、一人の所有物である以前に、複数の世代のいのちが積み重なってできた場所なのだと感じることが多くあります。所有者としての名前が変わっても、その土地に流れてきた時間そのものは途切れることなく続いている。そう考えると、書類の上の手続きの一つひとつも、いのちのつながりを次の世代へ渡していく作業の一部なのだと思えてきます。

竹内まりやが自らの声でこの曲を歌い直すたびに、その意味合いは少しずつ更新されてきたのだろうと想像します。若い頃に書いた歌を、歳を重ねてから同じ声で歌い直すという行為そのものが、生きることの連続性を体現しているようにも聴こえます。

不動産や介護の相談の場では、一つの家の来歴を確かめるために、何十年も前の書類や登記簿をさかのぼることがあります。そこに並ぶ名前の一つひとつが、かつて確かにこの土地で生活し、誰かを育て、誰かに看取られていった記録です。書類の上ではただの手続きに見えることの奥に、いのちが積み重なってきた時間が横たわっている。それに気づくたび、仕事の意味を静かに問い直されているような気持ちになります。この曲がドラマの中の設定という覆いを経て、時間をかけて作者の名を明かし、さらに時間をかけて多くの人の生活の場面に根を下ろしていったように、自分が関わる家や土地の物語もまた、すぐに答えの出るものではなく、長い時間の中で少しずつ形を現していくものなのだと思います。ATAWI MUSICにこの曲を置くのは、涙とともに、生きることの意味を何度でも確認し直すためです。