竹内まりやの「いのちの歌」を聴くと、歌詞の一つひとつが、生きるということの重さと尊さを丁寧に確かめているように感じます。この曲はもともと、NHKの連続テレビ小説『だんだん』のために書かれた旋律で、当初は「母なる宍道湖」という劇伴として作られたものでした。竹内まりやはそこに「Miyabi」という筆名で言葉を乗せ、2012年1月に自身の39作目のシングルとして正式にリリースします。ドラマの劇伴として生まれた旋律が、独立した一曲として歌詞を得て世に出るまでの道のりそのものに、この曲の重みが宿っているように思います。歌詞が泣けるというのは、大げさな表現ではなく、この曲を聴いた多くの人が実際に体験している感覚だと思います。
ここで聴けるのはライブバージョンで、2014年のツアー「souvenir」の際の演奏です。スタジオ録音とはまた違う温度が加わり、その場にいる人たちの呼吸や、竹内まりやの歌声にこもる感情が、より直接的に届いてくるようです。
朝ドラの劇伴から、一つの歌へ
この曲がはじめて公の場で披露されたのは、2010年12月のコンサート「souvenir again」のアンコールで、竹内まりや自身によるピアノ弾き語りでした。その後、NHK BSプレミアムのドキュメンタリードラマ『開拓者たち』の主題歌としても起用され、単なる朝ドラの劇伴という枠を超えて、独立した楽曲としての歩みを固めていきます。もともと物語に寄り添うための音楽として生まれたことが、この曲の持つ「誰かの人生に寄り添う」という性質と、どこか重なって聴こえます。
ライブバージョンで聴くと、スタジオ盤にはない即興的な間や、観客の反応も含めた一体感が感じられます。生きることの喜びと痛みを両方抱えたまま歌われるこの曲は、聴く側の状況によって、まったく違う響き方をします。若い頃に聴いたときと、年齢を重ねてから聴くときとでは、心に残るものが確実に違います。
東京で気づかなかった、生きることの意味
東京で働いていた頃、日々をこなすことに精一杯で、生きることの意味をゆっくり考える余裕はほとんどありませんでした。ある年の年末、体調を崩して数日間仕事を休んだことがあります。普段なら気にも留めない天井の模様や、窓の外を歩く人たちの姿を、ただぼんやりと眺めていたときにこの曲が流れてきて、不意に涙が止まらなくなったことを覚えています。生きているという実感よりも、生きていくための処理に追われていた自分に、この曲が静かに問いかけてきたのだと思います。
東京での生活は、多くの出会いと別れを経験させてくれました。うまくいかなかったこと、支えてもらったこと、自分では気づかないうちに誰かに影響を与えていたこと。「いのちの歌」を聴くと、そうした一つひとつの出来事が、決して無駄ではなかったのだと思えてきます。歌詞が泣けるのは、悲しいからではなく、自分がここまで生きてきた道のりを、そのまま肯定してくれるからだと思います。
磐田で、いのちをつなぐ仕事
磐田に戻り、家や土地、相続、介護に関わる相談を受けるようになってから、この曲の意味がさらに深くなりました。相談の現場には、必ず誰かの人生の終わりや、暮らしの終着点が関わってきます。親から子へ、そして孫へと受け継がれていく家や土地。それは単なる資産ではなく、いのちがつながってきた証でもあります。「いのちの歌」が歌う繋がりの感覚は、まさにこの仕事の本質に重なります。
相続や介護の相談では、悲しみや後悔と向き合う場面が少なくありません。もっと早く話しておけばよかった、もっと一緒にいる時間を作ればよかった。そうした思いを抱える方々を前にすると、いのちの重さを改めて感じます。この曲が伝える「生きていることそのものが尊い」というメッセージは、慰めの言葉としてだけでなく、これから先の選択を考えるための土台にもなります。ATAWI MUSICにこの曲を置くのは、涙とともに、生きることの意味を何度でも確認し直すためです。
ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、人の暮らし、仕事、家、土地、記憶をもう一度読み直す場所です。
