この曲を最初に知ったのはいつだったか、正直にいうと思い出せません。気づいたときにはもう、東京の部屋のパソコンから流れていた気がします。1984年に発表された当時、「プラスティック・ラヴ」は竹内まりやのアルバム『VARIETY』に収められた一曲に過ぎず、当時のリスナーの多くに広く知られていたヒット曲というわけではありませんでした。それが2017年、YouTubeにアップロードされたある動画をきっかけに、海外のリスナーの間で爆発的に再生されるようになる。アップロードした本人も、なぜこれほど伸びたのかを完全には説明できなかったと伝えられています。曲そのものは何一つ変わっていないのに、置かれる場所と時代が変わっただけで、まったく新しい生き物のように広がっていった。そういう出来事に、当時の自分はどこか他人事ではない感覚を抱いていました。
東京で働き、磐田を離れて暮らしていた日々は、自分という人間が場所を変えることでどう受け取られ方を変えるのか、常に試されているような時間だったからです。地方から出てきた人間が、東京というまったく違う文脈の中でどう見られ、どう評価されるのか。それは実力だけの問題ではなく、タイミングや場所や、時には偶然が大きく作用するものなのだと、あの街で何度も思い知らされました。「プラスティック・ラヴ」がたどった道のりは、そういう感覚と静かに重なります。33年前に日本で生まれた一曲が、遠く離れた国の、まったく違う世代のリスナーによって見出され、当時とは違う意味を与えられて再び動き出す。竹内まりや自身の記憶にある1984年の東京と、2017年のインターネットの向こうにいる誰かの部屋とでは、時間も距離もまるで違うはずなのに、そこに同じ旋律が流れている。曲を作った本人でさえ、30年以上先にどこの誰がこの曲を聴くことになるのか、想像していなかったはずです。それでも音は残り、どこかでまた誰かの耳に触れる機会を待っていた。この記事では、あの曲がどうやって作られ、どうやって世界に届き直したのかという事実をたどりながら、自分の記憶に残る東京と磐田の時間を重ねてみたいと思います。
結婚後の再始動として作られた『VARIETY』
「プラスティック・ラヴ」は、竹内まりやが1984年4月25日にリリースしたアルバム『VARIETY』に収録された楽曲です。竹内まりやは1978年にデビューし、1981年に体調を崩して一時休業、1982年には山下達郎と結婚しています。『VARIETY』は、結婚後初めてのアルバムとして制作され、山下達郎が全面的にプロデュース・アレンジを手がけました[1][2]。結婚後の作品がどの程度受け入れられるか、当時のスタッフにとっても未知数だったと伝えられていますが、蓋を開けてみるとオリコンのアルバムチャートで初登場1位を獲得したとされています[2]。「プラスティック・ラヴ」自体は翌1985年3月にリカットされ12インチシングルとしても発売されましたが、この時点ではシングルとして大きな注目を集める曲ではなかったようです[3]。
作り手が結婚という人生の節目を経て、静かに次の一歩を踏み出した先にこの曲があったという成り立ちを知ると、洗練されたサウンドの奥に、ある種の落ち着いた強さのようなものが潜んでいるように聴こえてきます。休業から復帰へ、そして夫婦としての新しい生活の始まりへ。人生の区切りを経たあとに作られた作品には、無理に自分を大きく見せようとする気負いのようなものがなく、むしろ静かな自信が通っているように感じられます。ヒットチャートを強く意識した派手さではなく、作り手が納得できる音を丁寧に積み上げていった結果としてこの曲があったのだとすれば、当時のリスナーの多くがすぐには気づかなかったとしても、それは曲の完成度が足りなかったからではなかったのだろうと思います。良いものが、良いタイミングで、良い場所に届くとは限らない。そのことを、この曲の最初の物語はすでに静かに語っていたのかもしれません。
2017年、YouTubeが起こした思いがけない出来事
この曲の運命が大きく変わったのは、発表から30年以上を経た2017年のことでした。「Plastic Lover」というアカウントがYouTubeに投稿した動画が、2017年から2019年にかけてYouTubeのレコメンドアルゴリズムに乗る形で再生回数を伸ばし、2200万回を超える視聴を記録したと伝えられています[4]。この動画は公式にリリースされたリミックスではなく、原曲の一部をループさせて長く聴けるようにしたファンメイドの編集版だったとされ、投稿の経緯自体、以前に一度削除された動画の再アップロードだった可能性があるとも伝えられています[4]。誰か特定の意図を持ったマーケティングの結果ではなく、名もない一人のリスナーの手による、いわば偶然に近い形でこの曲は再び動き出したことになります。
動画のサムネイルには竹内まりやの写真が使われていましたが、これはもともと1980年のシングル「Sweetest Music」のために撮影されたもので、「プラスティック・ラヴ」とは無関係でした。この写真の権利を持つ写真家からの申し立てにより動画が一時削除されるという出来事もあったと伝えられています[4]。曲とは直接関係のない一枚の写真が、結果としてこの曲の顔になっていた。そのちぐはぐさもまた、インターネット上での再評価という現象らしい出来事だったように思います。海外ではフューチャーファンクという音楽ジャンルの定番曲としてリミックスやエディットが数多く作られ、シティポップ再評価の潮流を象徴する一曲として語られるようになりました[1][5]。作り手の手を離れた場所で、意図しない形で拡散していく。インターネットというものが持つ、良くも悪くも制御しきれない力を、この曲の顛末はよく表しているように思います。そして2021年11月には、B面を「NEW RE-MIX」からオリジナル・バージョンに差し替えた限定盤の再発売がきっかけとなり、発売から36年を経て初めてオリコンのトップ10入りを果たしたと伝えられています[6]。発表当時には届かなかった場所に、遠回りの末にようやく辿り着いた曲だったといえます。
都会的で、少し乾いたサウンドが運ぶもの
音楽的な作りとして聴こえてくるのは、当時のアメリカのAORやシティポップに通じる、都会的で洗練されたサウンドです。跳ねるようなベースライン、抑制の効いたホーンやコーラスの重なり、そして竹内まりやの声が持つ、感情を抑えながらも芯の通った歌い方。どこか乾いた質感でありながら、聴くほどに奥行きが感じられる編曲は、山下達郎のプロデュースワークの緻密さを物語っているように思えます。過剰に盛り上げるのではなく、余白を残しながら音を重ねていく。そういう引き算の美学が、この曲全体を貫いているように聴こえます。
夜の街を車で走っているときのような、都会的でありながらどこか孤独な情景が浮かんでくるのも、この曲がシティポップというジャンルの象徴として語られるようになった理由の一つなのかもしれません。1980年代の日本で生まれたこの手のサウンドが、2010年代後半になって海外のリスナーの耳に新鮮に響いたのは、当時のアメリカのシティポップやAORへの憧れと、その憧れを日本流に洗練させた音作りとが、時代を経て一周し、逆に海の向こうの耳にオリジナルなものとして届いたからなのかもしれません。ジャンルとしての名付けや文脈づけは、あとから振り返って与えられるものなのだと、この曲の受け止められ方はあらためて教えてくれます。1984年の東京で作られたサウンドが、2017年のインターネットの向こう側にいる、日本語を解さない誰かの耳にも届いた。その事実は、音楽の持つ言葉を越えた強度を教えてくれるように思います。
東京で気づかなかった、時間差で届くものの価値
東京で働いていた頃、評価というものは、その場ですぐに下されるものだと思い込んでいました。成果を出せば認められ、出せなければ見過ごされる。そういう速さの中で日々を過ごしていた気がします。四半期ごとの数字、その月の実績、目の前の相手からの反応。短いスパンで評価が積み重なっていく環境にいると、時間をかけて育つものの価値を、つい見誤ってしまいがちになります。しかし「プラスティック・ラヴ」が辿った道のりを知ると、評価には別の時間軸があることに気づかされます。発表から30年以上が経ってから、しかも作り手が想定していなかった海の向こうで、この曲は思いがけない形で光を当てられました。
東京にいた頃の自分の仕事や判断の中にも、その場では誰にも気づかれなかったものが、いくつもあったはずです。焦って結果を求めるあまり、静かに積み重ねていくことの意味を見失いかけていたようにも思います。誰かに認められることを急ぐより先に、自分が納得できる仕事を丁寧に積み上げていくこと。それがどれだけ地味に見えても、いつか別の場所、別の時間の誰かに届く可能性を持っているのだということを、当時の自分はうまく信じられていなかった気がします。この曲を聴くたびに、価値のあるものは、たとえ今すぐ届かなくても、いつか誰かに見つけられる日が来るのだと、あらためて思わされます。
磐田で、家族と土地に流れる時間
磐田に戻り、家や土地、相続の相談を受ける仕事をするようになってから、この曲が教えてくれることの意味は、さらに違う重みを持つようになりました。相談に来られる方々の多くは、何十年も前に建てられた家や、先代から受け継いだ土地について話をされます。当時は当たり前だと思われていた選択が、時間を経て思いがけない形で意味を持ち直す場面に、幾度となく立ち会ってきました。家族という単位もまた、その時々の評価だけでは測れないものだと感じます。父や母が下した判断、祖父母が守り続けた土地。その時点では地味に見えたものが、後になって家族を支える大きな財産になっていたりする。
ある相談で、何十年も前に建てられた家の改修について話を伺ったことがあります。当時は決して目立つ選択ではなかったはずのその家の造りが、時を経て、今の暮らし方にちょうど合う形で残っていました。建てた人が意図していたかどうかは分かりませんが、結果として長く住み継がれる家になっていた。「プラスティック・ラヴ」が1984年の東京で生まれ、30年以上の時を越えて世界中のリスナーに届いたように、家や土地に刻まれた時間もまた、すぐには気づかれなくても、いつか誰かにとってかけがえのないものとして受け取られる日が来るのだと、この曲を聴くたびに思います。磐田の自然の中で家族と過ごす今の暮らしも、いつかそういう形で、次の世代に届くものになればと願っています。目の前の評価だけを追いかけるのではなく、時間をかけて積み重ねたものを信じること。この曲が教えてくれる姿勢を、仕事にも暮らしにも、静かに持ち続けていきたいと思っています。