ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=8tTkCZzRx5Q
確認した動画: 東京事変「女の子は誰でも」Music Video(TokyoIncidentsVEVO公式)

「女の子は誰でも」は、2011年5月11日に東京事変がリリースした両A面シングル「空が鳴っている/女の子は誰でも」の一曲で、資生堂「マキアージュ」のCMソングとして起用された[3][4]。作詞・作曲は椎名林檎、そして編曲は東京事変のメンバーではなく、外部の編曲家である服部隆之が手がけている[1]。公式インタビューによれば、これはバンドにとって初めて、編曲をメンバー以外に委ねた試みだったという[1]。CMからのオーダーは音楽的にはごく限定的で、「ヴァージン」という言葉を7秒以内に使うことだけが条件だったと椎名林檎は語っている[1]。そして、そのオファーを受け取る直前に、すでにこのメロディーが自然と浮かんでいたのだという[1]。依頼と着想が、狙ったわけでもないのに重なった。曲の成り立ちを知ると、CMソングという枠組みの中に、思いのほか自由な出発点があったことが見えてくる。自分がこの曲に出会ったのも、テレビの向こうを椎名林檎自身が歩く、あのマキアージュのCM映像からだった。曲名も作り手も知らないまま、ただメロディーだけが記憶に残り、あとになって東京事変だと知った。CMという小さな入口から始まった出会いは、たいてい素性を知らないまま先に音だけが心に入り込んでくる。誰の曲かを知る前に、すでに好きになっている。そういう出会い方が、この曲には似合っている気がする。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★★☆☆

選定理由:服部隆之が手がけたドリーミーなアレンジも、CMという枠の中にメロディーが先に存在していたという逸話も魅力的だが、この曲でいちばん心が動くのは、椎名林檎が「女の子」という言葉に辿り着くまでの時間そのものだ。かつて自分の歌詞に使いたくなかった言葉が、年齢を重ねてようやく必要になる。そこには曲の構成やMVの見た目を超えた、言葉と時間の物語がある。だからこそ主視点は歌詞がいいに置いた。MVは公式に存在するが、内容の資料的な確認ができる範囲では、曲や歌詞ほどの物語性を語りきれないため、星は控えめにしている。

バンドの外から声をかけたこと

東京事変というバンドは、基本的に楽曲の編曲を自分たちの手で行ってきたグループだ。「女の子は誰でも」で服部隆之に編曲を委ねたことは、だからこそ特異な選択だったと言える。公式インタビューでは、メンバーが「今までと同じことはやりたくない」という気概から、この起用を満場一致で承認したと語られている。キーボードの伊澤一葉は服部の仕事について、伝統的なグッドミュージックを踏まえながら革新性を込める音楽だと評していて、そこには単なる外注ではなく、信頼のうえで委ねたという姿勢がにじんでいる。実際に鳴っている音は、東京事変らしい鋭角なバンドサウンドというより、ドリーミーで開けた響きを持っているように聴こえる。ストリングスや装飾的なフレーズが、椎名林檎の書いたメロディーを丁寧に包み込んでいくような質感で、バンドの内側だけでは辿り着けなかったであろう色合いが加わっている。自分の仕事でも、すべてを自前で抱え込むより、専門の違う誰かに任せたほうがいい結果になる場面が少なくない。相続の相談では司法書士に、税務の話は税理士に、それぞれの領域を委ねることで、初めて話がまとまる。餅は餅屋という言葉があるが、任せるという判断そのものにも、任せる相手を見極める目が要る。東京事変が服部隆之を選んだように、誰に何を委ねるかという判断は、仕事の質そのものを左右する。

磐田に戻って家業を継いだ当初、自分はできるだけ多くのことを一人で抱えようとしていた。土地の測量も、書類の作成も、家族との調整も、誰かに任せることに慣れていなかった。今振り返ると、あの頃は任せることを、自分の力不足の証のように感じていたのだと思う。だが、専門の違う人の手が入ることで、仕事の輪郭がむしろはっきりすることがある。服部隆之という他者の手を経て「女の子は誰でも」が新しい表情を得たように、自分の仕事も、他者の視点を通すことで初めて見える部分がある。任せることは、投げ出すことではない。誰に何を委ねるかを考え抜いたうえでの、能動的な選択なのだと、この曲の成り立ちを知って改めて思う。

興味深いのは、この編曲の起用が椎名林檎ひとりの独断ではなく、メンバー全員の合意によるものだったと伝えられている点だ。バンドという共同体が、自分たちの外側に新しい風を入れることを、全員で選び取っている。家業を継ぐという場面でも、これに近い合意の瞬間があるように思う。先代のやり方をそのまま踏襲するのか、それとも新しい担当者や新しい仕組みを迎え入れるのか。家族だけで決めるには荷が重い判断を、外部の専門家の視点を借りながら、家族全員で少しずつ合意していく。服部隆之を迎えたときの東京事変のように、外の手を借りる決断を、誰か一人の思いつきではなく、関わる全員が納得したうえで下せているかどうかが、そのあとの仕事の質を静かに左右するのだと思う。

「女の子」という言葉が使えるようになるまで

椎名林檎は公式インタビューで、かつて「女の子」という言葉を自分の歌詞に使いたくない時期があったと振り返っている。だが、この曲に関しては「女の子」でなければ成立しなかったと語っていて、その理由として「年齢をいとわない唯一の概念」だからだと述べている。若さや世代を区切る言葉ではなく、いくつになっても自分の中に残る何かを指す言葉として、この曲では使われているということなのだろう。伊澤一葉はその言葉の使い方に「透明性」と「慈しみ」を感じると評していて、歌詞全体が女性への根源的な愛情に貫かれた、物語のような構成を持つと語られている。歌詞の内容そのものに立ち入ることは控えるが、ある言葉を使わないと決めていた時期を経て、あるとき初めてその言葉が自然に必要になる、という順番があることに、静かに心を動かされる。言葉は最初から自由に使えるものではなく、使えるようになるまでの時間があるものなのかもしれない。

自分にも、長らく口にできなかった言葉がある。磐田に戻ってすぐの頃は、「実家をたたむ」という言葉を、自分の依頼人にも、自分自身にも、なかなか使えなかった。空き家になった家を前に、片づける、手放す、更地にする、といった遠回しな言い方ばかりを選んでいた。仕事を重ねるうちに、その言葉を避けることのほうが、かえって依頼人の気持ちに蓋をしてしまうのだと気づくようになった。今では、必要な場面では、たたむという言葉をそのまま口にする。避けていた言葉が、ある時期を境に、むしろ必要な言葉に変わる。椎名林檎が「女の子」という言葉に辿り着いた経緯を知ると、自分の中にも同じような時間の流れがあったことを思い出す。曲を書く側にも、それを聴きながら仕事をする側にも、言葉が熟すための時間が要る。

言葉を選ぶという行為には、年齢を重ねるほどに慎重さが増していく面と、逆に肩の力が抜けて素直になれる面の両方があるように思う。椎名林檎が「女の子」という言葉を再び手に取れるようになった過程には、その両方が同居していたのではないか。若い頃に距離を置いていた言葉に、時間を経て、警戒とは違う手つきでもう一度触れる。相続や空き家の相談の場でも、依頼人が長年避けてきた言葉を、ある日ふと口にする瞬間に立ち会うことがある。「もう誰も住まない家」という現実を、はっきりと言葉にできるようになるまでに、何年もかかった人を何人も見てきた。言葉が追いつくまでの時間を急かさずに待つことも、この仕事の一部なのだと、この曲の背景を知るたびに思い出す。

七秒という制約と、枠の中の自由

「ヴァージン」という言葉を7秒以内に使うことだけが、CM側からの音楽的なオーダーだったと椎名林檎は語っている。曲全体の設計をゼロから縛るのではなく、ごく限られた一点だけを条件として提示する。この曲の成り立ちを知ると、CMタイアップという商業的な枠組みが、思いのほか作り手の自由を残していたことがわかる。しかもその条件は、資生堂側からの依頼を受け取る前にすでに浮かんでいたメロディーと、結果的に噛み合っていたという。狙って合わせたのではなく、先にあったものが、あとから来た枠にたまたま収まった。CMソングという成り立ちを聞くと、企業の意向に音楽が従属していく構図を想像しがちだが、この曲についてはむしろ逆で、すでにあった着想が枠を満たしていったという順番だったようだ。シングルは当初2011年2月23日発売の予定だったが、メンバーの逮捕報道により発売が延期され、最終的に5月11日のリリースとなったと伝えられている[3]。オリコンの週間チャートでは6位、月間では13位を記録したとされ、派手な首位獲得ではないものの、着実に多くの人の耳に届いた作品だったようだ[3]。この曲はのちに、東京事変の5作目のアルバム『大発見』にも収録されている[3]

測量や境界確定の仕事でも、外から与えられる条件はたいてい一点だけに絞られていることが多い。道路にどれだけ接する必要があるか、隣地とのあいだにどれだけの距離を空けるか。条件そのものは細かくなくても、その一点を満たすかどうかで、その先の計画の可否がすべて決まる。依頼を受ける前から、自分の中にすでにおおよその見立てがあることも少なくない。現地を歩いた瞬間に、この土地なら何ができるか、感覚的に見えてくることがある。そのあとで役所の条件や登記簿の数字を確認していくと、最初の見立てが、結果的にその枠にきれいに収まっていたと気づく瞬間がある。先にあった直感と、あとから来た制約が噛み合う感覚は、椎名林檎が語っていたメロディーとオファーの重なりと、どこか似ている気がする。枠は自由を奪うものというより、すでにあったものの輪郭を確かめる道具なのかもしれない。

発売延期という出来事も、この曲の記憶を語るうえで避けて通れない事実だろう。予定より遅れて世に出た曲が、当時のメンバーにとって波乱含みの時期を経て世に出たという巡り合わせは、当時の作り手が意図したものではなかったはずだ。物事の順番やタイミングは、あとから振り返って初めて意味を持つことが多い。土地や家の仕事でも、当初の予定通りに進まないことのほうがむしろ普通だ。相続の話し合いが長引き、当初想定していた時期を過ぎてから、ようやく方向性が定まることがある。遅れそのものは避けたい出来事だが、遅れたからこそ見えてくる景色や、遅れたからこそ生まれる決断もある。予定通りに運ばなかったことを、あとになって悪い巡り合わせだったと決めつけずに済むかどうかは、その後の時間の使い方次第なのだと思う。

公式MVという、もう一つの「女の子は誰でも」

この曲には、資生堂のCM映像とは別に、公式ミュージックビデオが制作され、TokyoIncidentsVEVOの公式チャンネルで公開されている[5]。自分がこの曲に最初に触れたのはCM映像のほうだったから、あとになって存在を知った公式MVは、いわば二度目の出会いだった。CMの15秒、あるいは30秒という枠の中で完結していた記憶に対して、MVはもう少し長い時間、曲そのものと向き合わせてくれる。ただし、このMVの映像コンセプトや監督について、公式に語られた詳細までは、今回確認できた資料の範囲では十分にたどれなかった。だからここでは、映像の物語を断定的に語ることは控えたい。確かなのは、CMというタイアップの窓口だけでなく、バンド自身の公式チャンネルによる映像がきちんと存在し、今も誰でも見られる状態にあるということだ。曲がCMという小さな入口から多くの人の記憶に入ったとしても、その先にはいつでも本編に戻れる場所が用意されている。MVを見返すという行為は、CMというダイジェストで止まっていた記憶を、もう一段掘り下げる作業に近い。曲や歌詞が持つ物語の厚みに比べると、映像単体としての確認できる情報が手元に少ない分、評価としては控えめに置いているが、それでも「本人たちの公式チャンネルに映像がある」という事実は、この曲を語るうえで欠かせない一点だと思う。

磐田で、他者の手を思い出しながら聴く

東京で働いていた頃、この曲をマキアージュのCMで聴いていた自分は、椎名林檎が出演する映像の記憶としてこの曲を覚えていた。磐田に戻り、家や土地の仕事をするようになってから聴き直すと、耳が向く場所が変わってくる。バンドが自分たちの外にいる服部隆之に編曲を委ねたこと、椎名林檎が「女の子」という言葉に辿り着くまでの時間、7秒という小さな条件がすでにあった着想と噛み合ったこと。どれも、自分ひとりの内側だけでは完結しない出来事だ。仕事でも、家族の相続でも、空き家の整理でも、一人で完結する話は実は少ない。専門の違う誰かの手を借り、避けていた言葉を口にできるようになる時間を経て、外から与えられた条件と自分の中にあったものが、ようやく噛み合う瞬間が訪れる。この曲がCMという小さな窓口から多くの人の記憶に入り込んでいったように、磐田での仕事も、小さなきっかけと、他者の手と、言葉が熟すまでの時間の積み重ねでできている。「女の子は誰でも」というタイトルの中の「誰でも」という響きが、年齢や立場を問わず誰の記憶にも入り込める曲だったことを、今になって静かに裏づけているように思える。

参考リンク

音楽には、聴き手それぞれの人生の時間が残ります。家や土地にもまた、誰かの暮らしや記憶が残っています。

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書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。