ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=bssK6prrHrQ
確認した動画: ウルフルズ - ええねん(UlfulsVEVO公式)

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★☆☆☆

選定理由:この曲の芯にあるのは、何といっても「ええねん」という4文字だけで、恋の迷い、自信の喪失、悔しさ、そして仲間の復帰への祝福まで、複数の感情を一気に引き受けてしまう言葉の強さである。ジョンBの脱退・復帰という実際の出来事を知って聴くと、この言葉が単なる励ましのフレーズではなく、離れていた時間ごと相手を受け止めるための言葉だったことがわかる。曲自体もシンプルで気持ちのいいロックンロールだが、「作詞・作曲:トータス松本」という一行の背後にある物語を、たった4文字に凝縮した歌詞の仕事のほうが、より深く語れると判断した。

「ええねん」という関西弁の温かく柔らかな響きには、すべてを包み込み、日々の生活の中で知らず知らずのうちに頑なに凝り固まってしまった大人の心を、そっと優しく解きほぐす不思議な力が宿っている。ウルフルズが二〇〇三年に世に送り出したこの楽曲は、私たちが日々の生活や仕事の中で知らず知らずのうちに抱え込んでいる焦りや不安、自己嫌悪といった重荷を、「それでいいのだ」と丸ごと無条件に肯定してくれる、唯一無二のロックアンセムである。現代社会を生きる私たちは、常に効率や成果、他者からの評価といった外的な基準を求められ、期待に応え続けなければならないというプレッシャーに晒されている。目に見える結果を出せなければ価値がないのではないか、選択を誤ったら取り返しがつかないのではないかという無形のプレッシャーに、知らず知らずのうちに心を蝕まれている。そのような張り詰めた日常のなかにあって、この曲は、完璧でなくてもいい、弱音を吐いてもいい、不器用なまま生きていてもいいのだと、乾いた心に温かな雨のように染み込んでいく。

特に、人生のさまざまな試行錯誤や紆余曲折を乗り越え、若き日の全能感から離れて自分の等身大の弱さや限界を受け入れ始める四十代後半という年齢において、この曲が持つ「全肯定」のメッセージは、より深い響きと説得力を伴って心に届くようになる。若い頃には前へ前へと突き進むための疾走感あるBGMとして聴いていたメロディが、年齢を重ねた今では立ち止まり、深く息を整え、再び歩き出すための静かなエールとして聴こえてくる。本稿では、この楽曲が持つシンプルなロックンロールとしての魅力や、奇跡的なメンバーの復活劇を遂げた制作背景といった音楽的な側面を丁寧に紐解くとともに、私自身の東京での葛藤や、現在拠点としている静岡県磐田市での介護・不動産ビジネスの現場で直面する生々しい人間模様と重ね合わせながら、なぜこの曲がこれほどまでに私たちの心を捉えて離さないのかを考察していきたい。音楽が呼び覚ます記憶と、日々の営みのなかで紡がれる人生の物語が交差する場所に、この曲の真の姿が立ち現れるはずである。

かつて「何者か」を目指した東京での葛藤と、無条件の自己受容

かつて若い頃に過ごした東京での日々は、常に焦燥感や孤独感と背中合わせになって私の中に今も残っている。何者かになりたいという漠然とした野心を胸に抱きながら、大都会の圧倒的なスピード感と冷徹な喧騒のなかで、自分を見失わないように一人で必死に踏ん張っていた日々。遅い時間の帰路、電車の窓にぼんやりと映る自分の疲れ切った表情を見つめながら、「このままで本当に大丈夫なのだろうか」「自分は間違った道を歩んでいるのではないか」という不安に押しつぶされそうになった夜は一度や二度ではない。当時はまだ、自分の弱さや限界を素直に認める器量を持つことができず、ただがむしゃらに他者と競い合い、周囲から期待される役割に応えようと自分を極限まで磨り減らしていた。結果がすべてであり、目に見える成果を出せない自分には居場所がないとさえ思い込んでいた時期もあった。自分の存在価値を証明するために張り詰めた葛藤のただなかにいた当時の私に、もしこの「ええねん」という無骨な肯定が届いていたなら、どれほど救われ、心が軽くなっただろうかと思う。

この曲が私たちに教えてくれるのは、他者からの評価や社会的な成功といった外的な基準ではなく、自分自身の不完全さや選択の迷いも含めたすべてを受け入れる「自己受容」の決定的な大切さである。たとえ間違った道を選んでしまったとしても、手痛い失敗をして立ち止まってしまったとしても、その事実を否定するのではなく、「それでも構わない、それが今の自分なのだ」と一度しっかりと受け止めること。そこからしか、真の再出発や次のステップはあり得ないのだという普遍的な真理を、この曲はそっと提示している。東京という巨大な波に揉まれながら自分を見失いそうになっていた過去の私自身、および同じように現代の都会の片隅で必死に耐えている若い世代に向けて、この無条件の肯定は、肩の力を抜き、ありのままの自分を取り戻すための極めて強力な心の安全弁として機能するのである。

ジョンBの脱退・復帰という物語と、ウルフルズが鳴らす無骨な肯定

『ええねん』という楽曲の背景には、ウルフルズというバンド自身の生々しい歩みと、メンバー間の深い信頼関係が色濃く反映されている。二〇〇三年十一月に二十五枚目のシングルとしてリリースされたこの曲は、一九九九年にバンドを一度脱退したベーシスト、ジョンBの復帰を祝福し、再び四人で音楽を鳴らせる喜びを分かち合うためにトータス松本によって書かれたものだ。かつて音楽的な葛藤やベースプレイに対する悩みを抱え、執筆活動に専念するという理由でバンドを離れたジョンB。しかし、彼が去った後も残されたメンバーたちの心の中には、彼に対する確かな想いと、いつか再び共にステージに立ちたいという強い願いが残り続けていた。二〇〇二年のデビュー十周年記念ライブでのシークレットゲストとしての出演を機に、彼らの音は再び結びつき、ファンの圧倒的な歓声に後押しされるようにして正式な復帰へと至るのである。

このドラマチックな背景を踏まえて改めて楽曲を聴くと、サウンドのシンプルさがより際立って胸に迫る。装飾を極限まで削ぎ落としたストレートなロックンロールのビート、ウルフルケイスケの歪んだギターが掻き鳴らす小気味よいリフ、サンコンJr.のタイトで生命感のあるドラム、そして復帰したジョンBが奏でる、バンドの重心をしっかりと支える暖かく親しみやすいベースライン。それらが一体となり、トータス松本のしゃがれた、しかし驚くほど突き抜けてポジティブな歌声と見事に共鳴する。この曲のレコーディングやライブ映像で見せる彼らの表情は、単なる演奏を超えて、「この四人でまた音を鳴らせれば、それだけでいい」という純粋な幸福感に満ち溢れている。その無骨で飾り気のないバンドアンサンブルそのものが、余計な言葉以上に力強く、聴き手に対する無条件の肯定として響くのである。

介護の現場で直面する現実と、「ありのまま」を肯定する優しさ

静岡県磐田市を拠点とする富士ヶ丘サービス株式会社での介護事業の運営は、私にとって人間という存在の深みと、その変化をありのままに見つめる日々でもある。サービス付き高齢者向け住宅や訪問介護などの現場では、老いや病、認知症の進行といった、人間の抗えない身体的・精神的な制限に直面することが日常茶飯事である。昨日までできていた日常の動作が今日できなくなる、大好きだった家族の顔や名前を思い出せなくなる。そうした生々しい現実に直面したご本人や、日々介護を支えるご家族は、深い混乱と悲しみ、そして「こんなはずではなかった」という自己嫌悪や罪悪感に苛まれることが少なくない。かつての元気だった頃の姿や、社会的に活躍していた頃の記憶と現在の状況を比較し、自らの状態を否定してしまうのである。

このような切実な介護現場において、私たちが最も大切にしているのは、変化していく状況や制限を否定せず、ただ「現在のその人の姿」を温かく包み込み、肯定することである。認知症によって記憶が薄れてしまっても、以前のように身体が自由に動かなくなっても、その人が存在していること自体の尊さは何一つ変わらない。私たちの仕事は、そうした高齢者の方々のありのままの状態を、温かい眼差しで受け入れ、寄り添うことだ。それはまさに、ウルフルズが歌う「それでええねん」という肯定の姿勢そのものである。何かができるから価値があるのではなく、ただ生きているだけで、そのままで良いのだというメッセージは、介護に関わるすべての人の心を救う。音楽が持つ優しさと、介護の現場で実践される人間への深い敬意は、この「無条件の受容」という一点において、完璧に重なり合っている。この温かな眼差しこそが、高齢者とその家族を救う光になる。

不動産売買という人生の分岐点で、依頼者の決断に寄り添うということ

また、私が手がけるもう一つの事業の柱である不動産事業においても、この「肯定する」というアプローチは非常に重要な役割を果たしている。特に相続した実家の売却や、長年暮らした空き家の整理、住み替えに伴う土地建物の処分といった相談は、単なる金銭的な取引や事務手続きの枠に収まるものではない。家や土地は、家族が何十年にもわたって日々の暮らしを営み、数え切れないほどの思い出や歴史が刻まれた、かけがえのない記憶の集積地である。そのため、多くの依頼者は、「親が残してくれた大切な家を売ってしまって本当にいいのだろうか」「先祖代々の土地を手放すことに申し訳なさがある」といった、深い心の葛藤や罪悪感を抱えながら、私たちの事務所を訪れる。彼らはただ物件を高く売りたいわけではなく、自分たちの下した決断を誰かに認めてほしい、背中を押してほしいと願っているのだ。

このような局面で、不動産の専門家として事務的に処理を進めるだけでは、依頼者の心に本当の安らぎや解決は訪れない。私たちは、その土地や建物に眠る思い出話に耳を傾け、彼らが決断に至るまでのプロセスに共感したうえで、「この選択でええねん」と静かに伝える姿勢を大切にしている。家を手放すことは、過去への裏切りではなく、自分たちの人生を前に進めるための前向きな選択であること。その決断は決して間違っておらず、自分自身を責める必要は一切ないのだと寄り添うこと。そうした心の整理がついて初めて、依頼者は晴れやかな気持ちで次のステップへ踏み出すことができる。機械的な売買仲介ではなく、個人の人生の選択を無条件で肯定し、その心の負担を分かち合うことこそが、私たちが目指す温かみのある不動産支援のあり方なのである。

『ええねん』が今の大人に響く理由――折れずに進むための静かなエール

若者向けの派手な応援歌や、過剰なポジティブさを強いるメッセージソングが世の中に溢れるなかで、なぜウルフルズの『ええねん』は、歳を重ねた大人の心にこれほど深く染み入るのだろうか。それは、この曲が私たちに「もっと頑張れ」とか「明日は必ず成功する」といった、未来への成果や目標の達成を約束させないからである。ただ現在の状態、これまでの選択、そして今ここにいる自分自身を丸ごと肯定してくれる。四十代を過ぎ、人生における様々な挫折や妥協を経験し、自らの限界を知った大人にとって、過度な期待や無責任な励ましは時に息苦しさをもたらす。しかし、「ええねん」という肩の力の抜けた言葉は、そうした大人の防御壁を優しく取り払い、張り詰めた精神の緊張を解きほぐしてくれるのだ。

私自身、磐田という地域に根ざし、経営者として介護と不動産という二つの責任ある事業を担いながら、AIやWebの先端技術を取り入れた情報発信に取り組むなかで、時には孤独やプレッシャーを感じることがある。そんな時、この曲のシンプルなビートと温かい歌声が流れてくると、頭の中の雑音が静かに消え去り、心が整っていくのを感じる。他者と比較して焦る必要はない、自分の信じた道を不器用に進めばそれでいいのだと、大切な原点に立ち返ることができる。この曲は、単なる一時的な気休めのための音楽ではない。私たちの過去の歩みをすべて肯定し、現在地を祝福し、明日へ向かって折れずに歩み続けるための、普遍的で静かなエネルギーを供給してくれる生涯の伴走者なのだ。この曲を聴くたびに、私たちは何度でも自分の原点に戻り、自分の足でしっかりと大地を踏みしめて生きていく覚悟を新しくすることができるのである。

参考リンク

音楽が昔の街や自分を思い出させてくれるように、家や土地にも、誰かの時間が残っています。

磐田市周辺で、相続した実家・空き家・土地建物の整理に悩んでいる方は、富士ヶ丘サービスまでご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そこで暮らしながら感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。