私にはできないけど、こんな男だけの大所帯って、大変だけど楽しいんだろうなと思う。梅田サイファー「梅田ナイトフィーバー'19」を聴くたびに浮かぶのは、そんな率直な感想です。テークエム、KennyDoes、KZ、ふぁんく、KBD、peko、KOPERU、R-指定といった名前を持つラッパーたちが、次々とマイクを受け渡していく。1人ひとりの声も、言葉の選び方も、間の置き方も違うのに、曲全体としては1つの熱量にまとまって聴こえてくるところに、この曲の面白さがあると感じています。誰か1人が目立ちすぎるわけでもなく、かといって埋もれてしまうわけでもない。大人数だからこそ生まれる、あの騒がしさと結束が同居した感じは、1人や少人数のユニットでは出せないものだと思います。統率されているというより、それぞれが好きに動きながら、なぜか噛み合っている。そのちぐはぐさと一体感の両方が、この曲の聴きどころだと私は受け止めています。
私自身は、こういう男だけの大所帯に属した経験がありません。東京で働いていた時期も、家庭を持ってからも、私の周りにあったのはもっと少人数の、顔と名前が一致する範囲の集まりばかりでした。だからこそ、これだけの人数が、それぞれ違う個性を保ったまま1つの曲の中で動いている光景には、単純な羨ましさに近い感情が湧いてきます。大所帯であることは、まとめる側にとっては手間の多さそのものでもあります。それでも解散せずに、歩道橋の集まりから何年もかけてここまで来ているという事実に、大人数だからこそ生まれる粘り強さのようなものを感じます。この曲を聴きながら思い出すのは、自分が関わってきた、人数の多い場所や集団のことです。磐田で仕事をしていても、家族という単位でも、人が増えれば増えるほど物事は単純にはいかなくなる。それでも、その厄介さの先にしか生まれない熱量があることを、この曲は思い出させてくれます。
歩道橋から始まった集まりという記憶
梅田サイファーは、2007年5月19日、大阪梅田の阪神百貨店と阪急百貨店をつなぐ歩道橋で始まったとされています。萬(H.YOROZU)、あきらめん、ふぁんくといった当時同世代のメンバーが、新規参入しづらかったヒップホップシーンに危機感を持ち、毎週土曜日の夜8時ごろから、電池式のスピーカーにiPodやマイクをつないで、通行人の前で即興のラップセッション「サイファー」を開いていたと伝えられています[6]。当初は「不良でもクラブ文化に馴染みのある層でもない」異色の集団として、大阪のシーンから距離を置かれていた時期もあったそうです[6]。それがSNSの普及とともに参加者を増やし、後にR-指定のようにMCバトルの大会で頭角を現すメンバーも輩出していきました。あくまで「サイファー」という即興の場が起点であり、最初から固定の人数やメンバー構成を決めて始まった集団ではない、という成り立ちが、この曲の賑やかさの土台にあるように思います。
「梅田ナイトフィーバー'19」は、そうした歩道橋の集まりを出発点とする梅田サイファーが、2019年9月25日にDFBR Recordsからリリースしたミニアルバム(EP)『トラボルタカスタム』に収めた楽曲の1つです[2]。梅田サイファー公式X(旧Twitter)アカウントでは、このEPを「梅田サイファークラシックと名高い『トラボルタカスタム』『梅田ナイトフィーバー19'』を収録」と紹介しており[5]、ファンの間だけでなくメンバー自身も、この曲を集団の代表曲の1つとして位置づけていることがうかがえます。作詞はKennyDoes、テークエム、KOPERU、R-指定、KZ、ふぁんく、KBD、pekoの8人によるもので、作曲・トラック制作はpekoが手がけたとクレジットされています[3]。同名の曲は後に「THE FIRST TAKE」の派生企画でも披露されており、2021年10月13日には「梅田ナイトフィーバー19' - From THE FIRST TAKE」として単独の音源リリースもされています[4]。歩道橋の即興セッションから始まった集まりが、これほど多くの人の耳に届く場所まで来た、という時間の積み重ねを想像すると、1つの曲の背後にある年月の長さを感じます。毎週土曜日の夜、決まった時間に決まった場所へ集まり続けるという行為自体、地道さがなければ続かないものです。派手なきっかけや誰かの号令ではなく、同じ場所に通い続けた時間の蓄積が、後にこれだけの再生数を生む土壌になったのだとすれば、この曲の賑やかさの奥には、地味な反復があったことになります。
結成から数えると、すでに10年以上が経過している計算になります[6]。その間にメンバーの入れ替わりもあり、脱退が伝えられた時期もあったとされています。それでも「梅田サイファー」という名前と、そこに集まる大所帯としての形自体は続いてきました。1つのユニットや2人組であれば、抜けた1人の穴はそのまま曲の印象を変えてしまいますが、大所帯であることは、そうした変化を受け止める余白を持っているようにも見えます。誰か1人が欠けても、残りの声がすぐにその空白を埋めていく。この曲を聴いていると、そうした大所帯ならではの弾力性のようなものも、音の重なりの中に感じ取れる気がします。
もともとがストリートでの即興セッションから始まっているためか、この曲にはスタジオで作り込まれた完璧さとは少し違う、その場の勢いをそのまま残したような手触りがあるように聴こえます。整いすぎていないからこそ、聴くたびに違う箇所に耳が行く。歩道橋の上で交わされていたであろう掛け合いの空気が、形を変えてこの曲の中にも息づいているのだとしたら、それは大所帯であることそのものが持つ財産なのだと思います。
男だけの大所帯というフロウの重なり
この曲を音楽として聴くと、1人あたりのパートは短く、テンポよく次の声へと受け渡されていくように聴こえます。声質もフロウの癖もばらばらな8人前後(公開されているクレジット上の参加者数で、活動全体としての人数は流動的だとされています)が、同じビートの上で自分のスタイルを崩さずに乗っていく。その結果、曲全体としては1つの「夜のフィーバー」を描きながら、細部を聴き込むと1人ひとりの声の違いが際立って聴こえてくる構造になっていると感じます。多人数のサイファー特有の、誰か1人の主張に染まらない多声的な聴こえ方こそが、この曲を単なる寄せ集めではなく、集団としての作品にしているのだと思います。マイクが渡るたびにテンポがわずかに揺れ、それでも曲全体のグルーヴが崩れないところに、長く一緒にラップを重ねてきた者同士の呼吸の合わせ方が表れているように聴こえます。
東京で働いていた頃、大所帯の部署をまとめる立場の上司たちが、その調整の大変さをよくこぼしていました。人数が増えれば増えるほど、意見の食い違いや、スケジュールの調整、それぞれの個性のぶつかり合いが増えていきます。誰か1人の都合で全体の予定が動くこともあれば、意見がまとまらないまま会議だけが長引くこともありました。それでも、大人数だからこそ生まれる、1人では絶対に出せないエネルギーや一体感があることも、同じくらい実感してきました。梅田サイファーのような、大人数の男だけの集団が長く続いているのを見ると、その大変さの先にある楽しさを、うらやましく思う気持ちが湧いてきます。
8人分の言葉が積み重なる歌詞の手触り
この曲の歌詞を丸ごと引用することはしませんが、その構造について少し考えてみたいと思います。1人の作家が一貫した物語を書き下ろす歌詞とは違い、「梅田ナイトフィーバー'19」はKennyDoes、テークエム、KOPERU、R-指定、KZ、ふぁんく、KBD、pekoという8人が、それぞれ自分のパートを持ち寄って積み重ねる形で書かれています[3]。1人分の言葉に耳を澄ませると、その人なりの言い回しや誇張、ユーモアの効かせ方が見えてきますが、曲全体としては「夜が盛り上がっていく」という1つの気分に収束していきます。これは、起承転結を丁寧に積み上げるタイプの歌詞とは違う強さです。むしろ、複数の視点や声色がぶつかり合いながらも、1つの熱狂を共有しているという、サイファーという成り立ちそのものが歌詞の構造に表れているように感じます。誰か1人の恋愛や後悔を掘り下げる歌詞ではなく、「今夜」「この場所」の高揚をそれぞれの言葉で塗り重ねていく。そうした歌詞のあり方は、大所帯だからこそ書ける詞のかたちだと思います。ただし、1つの物語として深く読み込めるタイプの歌詞ではないため、言葉の余白や人生との重なりという点では、曲やグルーヴそのものが持つ強さに一歩譲る印象があります。
公式MVが伝える現場の温度
「梅田ナイトフィーバー'19」には、本人公式YouTubeチャンネルで公開されている公式ミュージックビデオがあります[1]。8人のメンバーが1つの画面の中でマイクを回していく構成そのものは、大所帯であることを映像でも実感させてくれるもので、誰が今どのパートを歌っているのかを視覚的に追えるという点で、音源だけを聴くよりも各メンバーの個性がつかみやすくなっています。ただし、色使いや構図、カット割りの狙いといった演出面の細部まで裏づけられる公式解説は今回の調査では見つかりませんでした。断定的な演出評はここでは控えたいと思います。確認できた事実の範囲で言えば、この曲が公式MVという形で映像込みで届けられていること自体は間違いありません。もっとも、8人のマイクリレーが生む曲そのもののグルーヴや、歩道橋から積み重ねてきた時間の厚みに比べると、映像単体の完成度を主役として語れるだけの確度の高い情報は、今回の調査では十分に得られませんでした。だからこそ、今回の大石セレクションでは、MVがいいではなく曲がいいを主視点として選んでいます。
仕事と家、少人数で回してきた時間
東京を離れて磐田に戻り、家業として不動産の仕事を継いでからは、私が向き合う集団の規模はずいぶん小さくなりました。事務所には数人、現場では自分1人ということも多く、大所帯で何かを動かす機会そのものが減っています。家に帰れば家族という、これもまた少人数の単位が待っています。だからこそ、この曲に描かれているような、大勢の男たちが1つの熱量を分け合っている光景は、自分の日常とは対極にあるものとして響いてきます。少人数で回している仕事や家の暮らしにも、それなりの安定した心地よさはありますが、大所帯だけが生み出せる賑やかさや、誰かがふざけても誰かがそれを受け止めてくれる余裕のようなものは、少人数の場にはなかなか生まれません。
磐田という土地で、家や土地を受け継ぐ相談を受けていると、かつては1つの家に何世代もの家族が同居し、大所帯として暮らしていた時代の名残に触れることがあります。今はその多くが少人数の世帯に分かれ、空き家として残されていることも少なくありません。人数が多かった頃の家には、多かったからこその賑やかさと、多かったからこその面倒事の両方があったはずです。梅田サイファーの曲を聴きながら、そうしたかつての大所帯の暮らしを想像すると、大変さと楽しさが同居していたのは、音楽の世界に限った話ではないのだと気づかされます。相談に来る方の中には、大所帯だった頃の家の思い出を、少し困ったような顔をしながらも、どこか懐かしそうに語る方もいます。人数が多かったことの苦労を口にしながら、その口調にはうっすらとした温かさが混じっている。この曲を聴くと、そういう表情を思い出すことがあります。
磐田で見る、集団を育てるということ
磐田で家や土地の相談を受けていると、大家族や、地域の自治会のような大所帯の集団と関わる機会もあります。人数が多いほど意見はまとまりにくく、調整には骨が折れますが、その分、いざまとまったときの力は、少人数の比ではありません。梅田サイファーが歩道橋の小さな集まりから始めて、時間をかけて今の規模まで育ってきたように、地域の大所帯もまた、一朝一夕にはまとまらず、丁寧に積み重ねていくものなのだと、この曲を聴くたびに思い直します。脱退したメンバーがいたと伝えられる時期があったことも含めて、大所帯であり続けるということは、常に同じ顔ぶれでいることではなく、入れ替わりながらも熱量を絶やさないことなのかもしれません。
私自身はそうした大所帯の中で揉まれる経験をしてこなかった分、この曲を聴くたびに、少しの憧れとともに、その熱量に圧倒されます。統率が取れているようで、実は誰もが自由に振る舞っている。その絶妙なバランスこそ、大所帯ならではの豊かさなのだと思います。男だけの大所帯という、私自身には経験できない世界を、この曲を通じて覗き見るたびに、大変さの向こうにある楽しさを、少しだけ分けてもらっている気がしています。
仕事柄、磐田や周辺の土地で、何十年も前に建てられた大きな家を見る機会があります。かつて大所帯で暮らしていたはずのその家は、今では持ち主が1人か2人になり、空いた部屋の数だけ、かつての賑やかさの余韻を残しています。そういう家の前に立つと、大所帯であることの大変さと楽しさは、時間が経てば必ずどちらか一方に収束するものではなく、渦中にいる間はずっと両方が同時に存在し続けるものなのだと感じます。梅田サイファーが、歩道橋の小さな集まりから今の規模になるまでの間、ずっとその両方を抱えたまま音楽を続けてきたのだとしたら、「梅田ナイトフィーバー'19」という曲は、その両方をそのまま鳴らしている記録のようにも聴こえてきます。この曲が鳴り止んだ後の静けさに、ふと自分の家の静かさを重ねてしまうことがあります。大所帯の賑やかさを知らないまま年を重ねてきた私にとって、それは羨望でもあり、同時にどこか安心できる自分の居場所の輪郭を確かめる時間でもあります。
参考リンク
- [1] 梅田サイファー - 梅田ナイトフィーバー'19(本人公式YouTubeチャンネル)
- [2] トラボルタカスタム / 梅田サイファー - TOWER RECORDS ONLINE
- [3] 梅田ナイトフィーバー'19 クレジット情報 - mysound
- [4] 梅田ナイトフィーバー19' - From THE FIRST TAKE - Apple Music
- [5] 梅田サイファー【公式】X投稿(EP『トラボルタカスタム』紹介)
- [6] 梅田サイファー - Wikipedia
大所帯の熱量が1つの曲にまとまっていくように、家や土地にも、複数の世代が積み重ねた時間が残っています。
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