2022年の秋、テレビ朝日の土曜深夜に、少し変わったドラマが流れていた。寂れた温泉旅館の玄関とロビーだけを舞台に、観客を入れたまま長回しで撮る、いわば舞台劇のようなシットコムだった。主人公は10年ぶりに実家の旅館へ戻ってきた男。もう畳むしかないと言われていた場所に、なぜか帰ってきてしまう。その帰郷の物語に寄り添う主題歌として書き下ろされたのが、Vaundyの「瞳惚れ」だった。軽いギターカッティングが鳴った瞬間、画面の湿った空気が少しだけ乾いて、明るくなる。10年離れていた場所に戻る足取りの重さと、それでも前を向かせる音の軽やかさが、同居している曲だと思う。タイトルの「瞳惚れ」は、視線が合った瞬間にもう心が決まっているという、理屈を超えた出会いを指す言葉だという。だが自分がこの曲から思い出すのは、恋の記憶だけではない。自分が磐田に戻ってきたときのことを、なぜかこの曲は思い出させる。東京で積み上げてきたものを一度手放して、家業と土地に戻る決断をしたときの、あの不思議な軽さと重さの同居を。帰る場所を持つということは、いつも損得の外側にある、ふとした瞬間の心の動きに支えられているのかもしれない。
帰郷を照らす、シティポップの高揚感
「瞳惚れ」は2022年10月28日に配信リリースされ、同月22日に放送が始まったテレビ朝日「土曜ナイトドラマ」枠『ジャパニーズスタイル』の主題歌となった[1][2]。金子茂樹の脚本による本格シットコムで、寂れた温泉旅館「虹の屋」を舞台に、実家の窮地を救うため10年ぶりに帰ってきた主人公・柿丘哲郎を仲野太賀が演じている[3]。老舗旅館の品格やサービスはすでに失われ、癖の強い従業員たちが居座る場所と化しているところに、主人公が戻ってくるところから物語は始まるという[3]。玄関とロビー、従業員室と大浴場の入口という限られた空間だけで、観客を入れたままほぼ本番一発の長回しで撮影されているのも、このドラマの特徴だという[3]。MVにも仲野太賀本人が出演し、旅館という限られた空間で紡がれる群像劇の熱量を、そのまま映像に落とし込んだ[1]。楽曲についてVaundyは、ドラマの自由で楽しい空気感を音にしたい、生き生きとしたダンスルームのような高揚感を出したいという趣旨のコメントを残しているという[4]。軽やかなギターカッティングとファンキーなベースラインが土台を作り、そこにドラムマシンのような規則的なビートと手拍子が重なる、シティポップの意匠を借りた一曲に仕上がっている[5]。あるレビューでは、Bメロの展開の強さがサビの高揚感につながり、終盤の展開部分の作り込みも際立っていると評されているという[5]。懐かしさのある音の骨格に、今を生きる高揚感を乗せる。この曲の設計そのものが、古い旅館の中で新しい物語を始めようとする、ドラマの主人公の姿と重なって聴こえる。過去の様式を借りながら、そこに現在の息づかいを吹き込むという意味で、この曲自体が一種の帰郷の音楽劇のように響く。イントロのギターが鳴り始める数秒だけで、聴き手の姿勢が変わるように感じるのも、この曲の特徴だと思う。重たい前奏で助走をつけるのではなく、最初の一音からすでに軽やかで、そのまま体温を上げていく。帰郷や継承という重いテーマを扱いながら、音楽としては終始風通しがよい。その落差こそが、この曲を単なる主題歌に終わらせない強度を生んでいるように聴こえる。
複製から生まれる、本物という逆説
「瞳惚れ」は後に、2023年に発表されたVaundyの2ndアルバム『replica』のディスク2に収録された[6]。全35曲という大きなボリュームを持つこのアルバムには、「花占い」や「踊り子」「恋風邪にのせて」といった配信で長く聴かれ続けてきた楽曲群と並んで、「瞳惚れ」も一曲として組み込まれている[6]。「replica(複製)」というアルバムタイトルについて、Vaundyは、作り手というのは元々どこかにある原型をもとに複製を作っているものであり、オリジナルというものはむしろ複製の歴史の中から生まれてくるのだという趣旨の考えを語っているという[6]。この視点は、「瞳惚れ」という曲の成り立ちともどこか響き合う。城下町の温泉旅館という、いかにも懐かしい舞台設定に、シティポップという既に語り尽くされたはずの様式を重ね、そこから新しい高揚感を立ち上げてみせる。何もかもがゼロから生まれるわけではなく、すでにある形を受け継ぎ、磨き直すところから、新しいものが立ち上がる。旅館を継ぐという物語の構造そのものが、この曲の音楽的な成り立ちを言い当てているように思えてならない。オリコンやビルボードといった主要チャートでの具体的な順位については、確認できる公開情報の中に見当たらなかったが、配信リリースから2年近くを経てアルバムに再収録されたという経緯を見る限り、Vaundyの作品群の中で一時的な話題性にとどまらず、継続的に聴かれてきた楽曲であることはうかがえる。ドラマの放送終了とともに消費されて終わる主題歌ではなく、アーティスト自身の作品史の中に、あらためて場所を与えられた一曲なのだと思う。タイアップ曲は、放送が終われば役目を終えて忘れられていくことも少なくない。だからこそ、アルバムという長く残る形の中に、あらためて組み込まれたことの意味は小さくない。ドラマそのものも、寂れた旅館という舞台を、決して華やかに描かない。むしろ、くたびれた空間とくせのある人々をそのまま見せながら、その中に流れる時間を丁寧にすくい取っていく作品だったという。そういう作品の主題歌として、懐かしさと新しさを同居させる「瞳惚れ」が選ばれたことは、偶然ではないように思える。古いものをそのまま懐古するのではなく、古いものの中から新しい響きを引き出す。複製という言葉の奥にある、そういう作業への信頼が、この曲には流れている。
継ぐという決断の、軽さと重さ
東京で働いていた頃、いずれ磐田に戻るという選択肢は、頭のどこかにずっとあった。ただ、それを決断に変える瞬間というのは、理屈で説明しきれるものではなかった。家業をどうするか、土地をどう守るか、家族とどう向き合うか。考えれば考えるほど答えは重くなっていくのに、実際に戻ると決めた瞬間の感覚は、驚くほど軽かった。ドラマの中で、主人公が10年ぶりに旅館の暖簾をくぐる場面を、この曲のイントロが軽やかに彩っていたのを思い出す。継ぐという決断は、本来なら重い荷物のはずなのに、それを選び取った瞬間には、なぜか身体が少し軽くなる。「瞳惚れ」というタイトルが表す、理屈を超えて視線が合った瞬間にもう心が決まっているという感覚は、恋だけの話ではないのかもしれない。土地を継ぐ、家業を継ぐという決断もまた、損得を計算し尽くす前に、ふとした瞬間にもう決まっていることがある。東京にいた頃は、磐田に戻ることを、失うものの多い選択のように感じていた時期もあった。積み上げてきたキャリアや人間関係を手放して、限られた土地の中で仕事をしていくことに、迷いがなかったわけではない。それでも、実家の庭先に立ち、子どもの頃から見ていた木や石垣を目にした瞬間、迷いよりも先に、ここに戻るという答えのようなものが、すでに自分の中にあったことに気づいた。理屈で組み立てた計画ではなく、目が合った瞬間にもう惚れていたという感覚に近い。土地との関係も、人との関係も、案外そういう順番で決まっていくものなのかもしれない。家族との関係も同じだった。長く離れて暮らしていた分だけ、戻ってからの日々には、説明の要らない気まずさと、説明の要らない安心感が同時にあった。何十年も先に会話を交わしていたわけでもないのに、顔を合わせた瞬間に、これまでの空白を埋めるように自然と言葉が出てくる。理屈を超えた出会いというのは、初対面の相手だけに起きることではなく、離れていた家族や、久しく歩いていなかった土地との間にも、同じように起きるのだと、この曲を聴くたびに思い返す。ドラマの主人公も、旅館を継ぐと決めた瞬間から、すべての答えを持っていたわけではなかったはずだ。従業員たちとの摩擦も、経営の見通しの乏しさも、抱えたまま帰ってきている。それでも一歩を踏み出せたのは、理屈が先に整ったからではなく、帰るという選択そのものに、説明のつかない軽さがあったからだろう。自分にとっての磐田も、そういう場所だった。答えが全部揃ってから戻ったのではなく、戻ってから少しずつ答えを見つけている。その順番の逆転を、この曲のイントロの軽やかさが、いつも肯定してくれるように感じる。
磐田の土地で、帰る場所を思う
磐田で家や土地の相談を受けていると、実家を継ぐかどうか、空き家をどうするかという話に、何度も立ち会う。そのたびに感じるのは、決断の重さと同時に、決めた瞬間の不思議な軽さだ。古い建物や土地には、確かに手間もかかるし、迷いもある。相続の手続き、老朽化した家屋の扱い、離れて暮らす家族との調整。並べていけば、どれも簡単には片づかない重い課題ばかりだ。それでも、久しぶりに実家を訪れた方が、目の前の家や庭の景色に、ふと気持ちが動く瞬間を見せてくれることがある。理屈で損得を計算していたはずなのに、その瞬間だけは、なぜか迷いが消えている。子どもの頃に遊んだ庭の隅や、親が大切に手入れしていた植木を目にした途端、売るとか貸すとか壊すとかいう選択肢の前に、ここを残したいという気持ちのほうが先に立つ。そういう場面に、何度も立ち会ってきた。「瞳惚れ」が鳴らす軽やかなギターの音は、そういう瞬間の軽さを思い出させてくれる。ドラマの中の温泉旅館が、朽ちかけていながらも誰かに継がれることで新しい物語を紡いでいったように、磐田の家や土地もまた、誰かがそこに心を動かした瞬間から、また新しい時間を刻み始めるのだと思う。継ぐことは、失うことではなく、複製のように見えて実は新しい何かを立ち上げる作業なのだと、この曲を聴くたびに思う。理屈を超えた出会いの瞬間を大切にすることは、音楽だけでなく、家族や土地との向き合い方にも、静かに通じている。仕事として家や土地に関わっていると、つい効率や合理性を優先しがちになる。空き家をどう扱うか、相続をどう進めるか、数字と手続きを積み上げて答えを出すことが、この仕事の大半を占めている。それでも、この曲がイントロで鳴らす軽やかな一音のように、理屈より先に動いてしまう気持ちを、大切にしたいと思う瞬間が、確かにある。ドラマの主人公が10年ぶりに旅館の暖簾をくぐったときのように、磐田の家々にも、誰かが久しぶりに帰ってくる日がある。そのとき、家や庭がどんな顔をして迎えるか。手を入れ続けてきたか、放っておかれたか。その差が、帰ってきた人の気持ちを大きく左右することを、この仕事を通じて何度も見てきた。「瞳惚れ」が鳴らす軽やかな音は、そういう帰る場所を、これからも守っていきたいという気持ちを、静かに後押ししてくれる。