ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=SIuF37EWaLU
確認した動画: 東京フラッシュ / Vaundy:MUSIC VIDEO(Vaundy公式)

大石セレクション:曲がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★★
  • 歌詞がいい:★★★☆☆
  • MVがいい:★★★★☆

選定理由:この曲はトレンド分析から出発した、いわば設計図のある楽曲だが、その設計が何年経っても古びない強度を持っていることに驚かされる。2020年5月6日公開のBillboard JAPANストリーミング・ソング・チャートで初めてトップ300に入ってから、2022年2月9日公開チャートまで93週連続でトップ300圏内にとどまり続け、ダブル・プラチナ認定、累計3億回再生に達したと報じられている[2][4]。ミュージックビデオも監督自身の実感が込められた強い作品だが、キャッチーなギターリフとメロウなメロディの組み合わせ、繰り返しの中に潜む微妙なずれが何年も聴き手を飽きさせない、その「曲そのものの持久力」を主視点に選んだ。

「東京フラッシュ」を聴くたびに、この曲がどれほど周到に作られたものかを思い出します。Vaundyはこの曲を、当時から明確な狙いを持って作ったと伝えられています。シティポップを軸に、プレイリストの上位に並ぶ楽曲を研究し、リスナーの最新の好みを探りながら組み立てていったのだと、複数の音楽メディアで紹介されています。2019年9月27日にYouTubeで先行公開され、同年11月29日にVaundy自身初のデジタルシングルとして配信リリースされたこの曲は、公開から2ヶ月で100万再生を突破し、まだ大学生だった一人の作り手を、一躍新世代を代表する存在として押し上げるきっかけになったと報じられています。狙って鳴らされた音が、狙い通りに世に届いた。そういう成功譚として語られることの多い曲です。

けれど、この曲を東京で働いていた頃の自分の記憶と重ねて聴くと、戦略という言葉だけでは片づけられない手触りが残ります。ミュージックビデオには渋谷、新宿、上野、浅草といった街の風景が映し出され、公衆電話とスマートフォンという通信手段の変遷が並べて描かれていると伝えられています。移ろっていく街と、移ろっていく時代。それを俯瞰する視線が、20歳になるかならないかの作り手の中にすでにあったのだとしたら、それは単なるマーケティングの精度を超えた何かだったのではないかと思います。東京という街は、そこに暮らす者にとっては生活の場でしかありませんが、外から見上げる者にとっては、何にでもなれそうで、同時にどこにも属せそうにない、しんとした哀しさを抱えた記号でもあります。この曲のタイトルに選ばれた「東京」という言葉の強さは、その両義性を無自覚に、あるいは意図的に含んでいるように聴こえます。

戦略として組まれた曲、狙いを超えて残った曲

Vaundyがこの曲を「ラジオで流してもらう」というコンセプトのもとに作ったという情報は、ウィキペディアの記述でも紹介されています。J-WAVEのようなラジオ局で流れることを想定し、YouTubeやサブスクリプションサービスを流れる様々な楽曲を分析しながら制作を進めたのだと伝えられています。作詞・作曲・編曲だけでなく、アートワークや映像のセルフプロデュースまで一人で担っていたことも、当時のインタビューや報道で紹介されている通りです。ロッキング・オンの記事では、この曲を「Vaundyが自身初のバズを確信的に狙いにいった楽曲」と評しています。ミュージックビデオはVFXアーティストのMIZUNO CABBAGEとの共作で、見る人それぞれが自由に解釈を巡らせられる余白を残した映像として作られたとも紹介されています。

音作りについては、容易に口ずさめるキャッチーなギターリフに、メロウなメロディが絡むイントロが特徴として語られています。ある音楽感想記事では、使用楽器の種類が限定的である分、ベースラインが際立ち、都会的で洗練された印象を生み出していると評されています。同じフレーズが繰り返される構成が、電話越しの会話で聞き返す仕草を連想させるという指摘もあり、聴くたびにそう言われてみればそう聴こえてくる不思議な感覚があります。艶っぽさと透明感がひとつの声の中に同居し、そこに絶妙に外したメロディラインが配されている。作り込みの精緻さと、聴き手を突き放さない親しみやすさが同時に成立しているところに、この曲の設計の巧みさがあるように感じます。

興味深いのは、ここまで分析的に組み立てられた曲でありながら、聴後感が計算高さではなく、むしろ寂しさに近い余韻を残すことです。ギターリフの繰り返しは耳に馴染みやすい反面、単調さと隣り合わせになりやすい仕掛けでもあります。それでも単調に陥らないのは、ベースラインの動きとヴォーカルの抑揚が、リフの背後でわずかにずれながら呼吸しているからではないかと聴いていて感じます。表を張るギターの規則性と、裏でしなる声の不規則性。その二つが同時に鳴ることで、聴き手はリズムに乗りながらも、どこか落ち着かない揺らぎを感じ続けることになる。狙って作られた仕掛けの中に、狙いきれない揺らぎがそのまま残されている。そこにこの曲の面白さがあるように思います。

チャートを長く歩き続けた曲

「東京フラッシュ」は、派手な初登場で話題をさらった曲ではなかったようです。Billboard JAPANのチャート情報によれば、2020年5月6日公開のストリーミング・ソング・チャートでトップ300に初めて登場し、そこから2022年2月9日公開チャートまで93週連続でトップ300圏内にとどまり続けたと報じられています。最高位は2021年2月3日付チャートの66位とされ、Hot 100では2020年6月3日付で64位を記録したとも伝えられています。そして2022年2月9日、Vaundyにとって4曲目となるストリーミング累計1億回再生を突破したことがBillboard JAPANで報じられました。その後もダブル・プラチナ認定を受け、累計3億回再生に達したとも伝えられています。派手な瞬間風速ではなく、何年もかけて聴かれ続けた末にたどり着いた数字だという点に、この曲の息の長さがよく表れているように思います。

アルバム『strobo』にも収録され、Vaundyというアーティストの出発点を代表する曲として、以後もライブやメディアで繰り返し取り上げられてきました。デビュー作でありながら消費されて終わることなく、何年も聴かれ続けている事実は、狙って作られた曲であることと、それが本物として残ることは矛盾しないのだと教えてくれます。93週という数字の重みは、瞬間的な話題性では到底説明がつきません。むしろ、公開当初にすぐ数字が跳ねなかったことの方が、この曲の性質をよく表しているように思います。最初にリスナーの心を掴んだのはミュージックビデオの映像であり、楽曲そのものが評価され、聴かれ続ける層を広げていくまでには、一定の時間がかかったのではないかと想像します。街の記号としての強さと、音楽としての強さが、時間差を伴いながらそれぞれ届いていった。そう考えると、この曲の息の長さは偶然ではなく、二つの強さが積み重なった結果だったのだと納得できます。

東京で働いていた頃、見上げていた街

東京で働いていた時期、自分にとっての東京は、生活そのものでした。満員電車、締め切り、名刺交換、深夜のオフィスの灯り。そこに暮らしていると、街を俯瞰する視点を持つ余裕はなかなか持てません。地元を離れて出てきた若い作り手が、公衆電話とスマートフォンという通信の変遷を並べて描き、街そのものを一つの記号として扱ってみせたという話を聞くと、自分がその街の中で見失っていた距離感を、あらためて突きつけられるような気がします。当時の自分は、東京という街の内側にいながら、その街を外から眺める視線をほとんど持てていませんでした。仕事に追われるうちに、街は背景になり、目の前の案件だけが視界を占めていきます。

それでも、ふとした瞬間に東京という街のしんとした哀しさに気づくことはありました。休日の午後、誰もいないオフィス街を歩いているとき。終電間際のホームで、見知らぬ人たちと同じ方向を見つめているとき。何にでもなれそうな街のはずなのに、自分がその中の一つの部品でしかないと感じる瞬間が、たしかにありました。「東京フラッシュ」というタイトルの強さは、その両義性――何にでもなれる自由さと、どこにも属せない孤独――を一語に凝縮しているところにあるのだと思います。狙って作られた曲だからこそ、そこに込められた街への視線が、かえって普遍的な手触りを持って届くのかもしれません。

ミュージックビデオに映る渋谷、新宿、上野、浅草は、それぞれ全く違う顔を持つ街です。観光地としての浅草、繁華街としての渋谷、通過点としての新宿、下町としての上野。それらを一つの映像の中に並べて置くという発想には、東京を単一のイメージで語らせない意志のようなものを感じます。自分が働いていた頃の東京も、実際にはいくつもの顔を持っていました。名刺を交換する丸の内の東京と、深夜に一人でラーメンをすする新宿の東京は、同じ街とは思えないほど違う表情をしていました。公衆電話からスマートフォンへという通信の変化を重ねて描いたことも、単なる懐古趣味ではなく、街の顔がいくつも積み重なって今の姿になっているという実感の表現だったのではないかと想像します。

磐田で、狙いと本物の境目を考える

磐田に戻り、家や土地の相談を仕事にするようになってから、狙いを持つことと本物であることの関係について、以前よりも深く考えるようになりました。空き家の売却相談を受けるとき、市場を分析し、需要を見極め、戦略的に条件を整えることは欠かせない作業です。けれど、そこで扱っているのは数字だけではありません。その家で誰が暮らし、何を大切にしてきたのかという、戦略では測れない時間が必ず重なっています。戦略と本物は、対立するものではなく、むしろ丁寧に重ね合わせるべきものなのだと、この仕事を続けるほどに感じます。

「東京フラッシュ」がリスナーの好みを研究し尽くした上で作られた曲でありながら、何年も聴かれ続けているという事実は、そのことをそのまま裏付けているように思います。狙いだけでは曲は残りません。狙いの奥に、作り手自身の街への視線や、時代への実感がなければ、聴き手の記憶には残っていかない。磐田で土地や家に向き合うときも同じです。条件を整理し、市場を分析する仕事の奥に、そこに暮らしてきた家族の時間への敬意がなければ、仕事は形だけのものになってしまいます。東京で働いていた頃に見上げていた街と、いま磐田で足元に向き合っている土地は、遠く離れているようでいて、同じ問いを自分に投げかけ続けているように感じます。

家族から空き家の相談を受けるとき、まず求められるのは、売却の条件や市場価格といった戦略的な整理です。それは避けて通れない仕事の入口です。けれど、その家の窓から見えていた景色や、その土地で誰が誰を見送ってきたのかという記憶は、戦略の外側にあります。東京という街が公衆電話からスマートフォンへと姿を変えながらも、そこに暮らす人の哀しさや希望までは変わらなかったように、磐田の家や土地も、持ち主が変わり、姿を変えながら、そこに刻まれた家族の時間だけは形を変えずに残り続けます。狙いを持って仕事を組み立てながら、その奥にある変わらないものを見失わないこと。「東京フラッシュ」を聴くたびに、その姿勢の大切さを静かに思い出させられます。

デビュー曲として狙って作られ、狙い通りに世に届き、それでもなお何年も聴かれ続けているという「東京フラッシュ」の軌跡を辿ると、戦略と本物の境目は、実は最初から曖昧なものだったのではないかと思えてきます。公衆電話からスマートフォンへと移り変わる通信の風景を背景に、東京という街の両義性を一語に込めたこの曲は、聴くたびに、自分がかつて見上げていた街の輪郭と、いま足元で向き合っている土地の重みを、同じ地平で思い出させてくれます。