曲には、特定のひとりと分かちがたく結びついてしまうものがあります。私にとって山下久美子「いっぱいキスしよう」は、はじめて付き合った人の曲です。イントロが流れた瞬間に、理屈より先に、あの頃の空気が戻ってきます。待ち合わせの改札、隣を歩くときの歩幅の合わせ方、別れ際に何度も振り返ったこと。特別な事件があったわけではないのに、ひとつひとつの場面の光量だけが、妙に高いまま保存されています。はじめての恋というのは、たぶんそういうものなのだと思います。比べる対象を持たないから、すべてが等倍以上の大きさで記憶される。この曲の、ためらいを吹き切るような明るさとまっすぐさは、あの頃の気持ちの震えとそのまま同じ周波数でした。タイトルだけ見ると勢いのある曲のようですが、聴き直すと、好きだという気持ちを出し惜しみしないことの尊さを歌った曲だと分かります。出し惜しみしなかったあの頃の自分を、今はむしろ立派だったと思っています。この記事では、曲が生まれた1993年という時代の空気と、当時の制作クレジット、そして曲の作りそのものを聴き直しながら、自分の記憶の方も一緒にたどってみようと思います。
1993年春、テレビから流れてきた
「いっぱいキスしよう」は、1993年5月19日にリリースされた山下久美子のシングルです[1]。副題に(century kiss)とあり、同年8月30日発売のアルバム『CENTURY LOVERS』からの先行シングルでもありました[2]。作詞は康珍化、作曲・編曲は布袋寅泰。アルバム全体のプロデュースも布袋寅泰が手がけており、収録曲すべての作曲・編曲を担っています[2]。キーボードには門倉聡と小森茂生の名前がクレジットされていて、布袋寅泰のギターを軸にしたポップな骨格の上に、山下久美子の伸びやかな声がまっすぐ飛んでいく、この時代ならではの贅沢な布陣の1曲です。レーベルは東芝EMI/EASTWORLD、当時のフォーマットは8cmCDでした。
この曲は東芝グループのCMソングとしても起用されています[1][3]。当時、CMは曲と出会う最大の入口でした。番組の合間に15秒だけ流れるサビを何度も浴びて、曲名も歌手も知らないまま口ずさめるようになり、あとからレコード店で正体を突き止める。そういう出会い方が普通だった時代です。「いっぱいキスしよう」も、まずテレビの中から生活に入り込んできて、気がつけば自分の記憶のBGMになっていました。アルバム『CENTURY LOVERS』はオリコンチャートで2位を記録しており[2]、シングル単体としても、爆発的な一過性のヒットというより、CMと生活の中で静かに浸透していった曲だったようです。だからこそ、この曲を覚えている人の記憶には、たいてい何か具体的な生活の場面がくっついているのではないかと思います。
山下久美子は1980年代に「バスルームから愛をこめて」などで一世を風靡し、総立ちの久美子と呼ばれた歌い手です。その人が1990年代に入ってから放ったこの曲には、若さの勢いだけではない、大人になってからのまっすぐさがあります。ためらいや駆け引きを知った上で、それでもまっすぐを選ぶ。同じまっすぐでも、10代のそれとは違う成分でできています。
作詞の康珍化は、この時期の歌謡曲・J-POPシーンで数多くのヒット曲の言葉を手がけた人で、口当たりの良さの奥にきちんとした構成を仕込む書き手として知られています。作曲・編曲・プロデュースを担った布袋寅泰は、当時すでにBOØWYでの活動を経て、ソロ活動や他アーティストへの楽曲提供で独自のギターサウンドを確立していた時期にあたります。ロックのバックグラウンドを持つ作り手が、歌謡曲寄りのポップスの型の中でどう自分の音を鳴らすか、という緊張感がこの曲には漂っているように感じます。派手な自己主張ではなく、あくまで山下久美子の声を立てる方向に振り切っている点に、職人としての判断を感じます。
音として聴くと見えてくるもの
あらためて音そのものに耳を澄ますと、イントロのギターの粒立ちの良さに、布袋寅泰らしい輪郭のはっきりした音作りを感じます。派手なテクニックを前面に出すのではなく、歌を運ぶための骨組みとしてギターが機能していて、そこに乗る山下久美子の声はビブラートを深くかけすぎず、言葉の子音をくっきり立たせるような発音で進んでいくように聴こえます。サビに向かって音数が増えていく組み立ては、当時のシンセサイザーの表現力が一段と広がっていた時代の空気を反映しているようにも感じられ、キラキラした質感の音色が曲全体を明るい方向に押し上げています。
曲名だけを見ると軽やかな響きですが、実際に聴くと、サビのメロディーの跳躍にどこか一途さのようなものが宿っているように思います。高い音に向かって迷いなく上がっていく旋律線は、駆け引きよりも直進を選ぶ人の呼吸に近い気がします。歌詞そのものを引くことは控えますが、そういう音の作りだけで、この曲がためらいのなさをテーマにしていることは十分に伝わってきます。編曲のバランスも、ボーカルを埋もれさせないよう楽器の音数を要所で絞っていて、聴き手の意識が自然と声の方に向くように設計されているのではないかと感じます。
Aメロからサビへの持って行き方も丁寧で、抑えた歌い出しから徐々に音域を広げ、感情の温度を段階的に上げていく作りになっているように聴こえます。一気に盛り上げるのではなく、段を踏んで気持ちを積み上げていく構成は、聴き手の側にも心の準備をさせてくれるようで、サビに入った瞬間の解放感がより大きく感じられます。間奏でギターが少し前に出てくる場面も、歌の主張を邪魔しない範囲に音量が抑えられていて、あくまで歌に添う楽器という布袋寅泰の判断がここでも一貫しています。こうした丁寧な段取りのある曲だからこそ、30年以上経った今聴いても軽薄に響かず、むしろ律儀なポップスとして耳に残るのではないかと思います。
はじめて付き合った人の記憶
はじめて付き合った人のことを思い出すとき、不思議と、顔の細部よりも場面の方が濃く残っています。たとえば、雨上がりの夕方に傘を持て余しながら並んで歩いた帰り道。たとえば、映画の内容はほとんど覚えていないのに、暗がりで隣に座っているという事実だけで精一杯だった時間。会話の内容は忘れても、会話をしていたときの胸の圧力は覚えている。記憶というのは、出来事ではなく感情の方を優先して保存するようにできているのだと思います。
あの頃の自分は、気持ちの伝え方をまだ何も知りませんでした。言いすぎて後悔し、言い足りなくて後悔し、そのくり返しでした。だからこそ、この曲のような出し惜しみのなさに憧れたのだと思います。好きなら好きと、会いたいなら会いたいと、そのまま言ってしまえばいい。曲の中では簡単にできることが、現実ではあんなに難しかった。その差分ごと含めて、この曲は私の初恋の記録になっています。歌詞そのものを長く引用することはしませんが、曲名がそのまま核心を言い切っているところに、この曲の潔さがあります。駆け引きの言葉を一切挟まず、ためらいなく気持ちを差し出す。その率直さは、聴く側の胸の奥にある、まだ言葉にできていない気持ちまで代弁してしまう力を持っています。
振り返ると、あの頃の自分がぎこちなかったのは、気持ちを言葉にする練習をそれまでほとんどしてこなかったからだと思います。学校でも、家でも、感情はどちらかというと表に出さない方が評価される場面が多く、いざ誰かを本気で好きになったとき、その扱い方がまったく分からなかった。不器用に言葉を選び、それでも足りなくて、結局は態度で伝えようとする。今思えば拙かった当時のやり取りの一つひとつが、この曲の持つまっすぐさと重なって、聴くたびにあの頃の自分をそのまま思い出させてくれます。
その人とは、結局長くは続きませんでした。ただ、はじめての恋の役割は、続くことではなかったのだと今は思います。人を好きになるとはどういうことか、自分の気持ちひとつで一日の色が変わるとはどういうことか。それを最初に教えてくれた人がいて、その時間にこの曲が流れていた。それだけで、この曲を聴く理由としては十分です。東京にいた頃の自分と、今、磐田で暮らしている自分とのあいだには、たくさんの引っ越しと仕事の変化が挟まっていますが、この曲だけは、そのどの時代の自分にとっても同じ場所に立っているように感じます。
当時の東京は、今よりもずっと待ち合わせに融通が利かない街でした。携帯電話などなく、駅の改札で少し早めに着いて、来るはずの人を探して人波を見ていた時間。あの何もしていない数分間ほど、気持ちが張りつめていた時間はなかった気がします。相手が改札の向こうに見えた瞬間の安堵と高揚が入り混じった感覚は、今でも似た場面に出会うと不意によみがえります。「いっぱいキスしよう」という曲名の率直さは、当時の自分には少し気恥ずかしくもありましたが、同時に、あんなふうに言い切れたらどんなに楽だろうという憧れでもありました。
今、磐田で家族と暮らし、土地に根を張った生活をしていると、東京で過ごしたあの数年間は、ずいぶん遠い場所の出来事のように感じられます。それでも、この曲のイントロが流れた瞬間だけは、距離も時間も一気に縮まって、当時の自分がすぐそこに立っているような感覚になります。曲というのは、記憶を保存する箱としてはずいぶん優秀な仕組みなのだと、こういう瞬間に思い知らされます。
30年経って聴くラブソング
50代になってこの曲を聴くと、若い頃とは別の場所が響きます。それは、気持ちを表現することを面倒がらない、という曲の姿勢です。歳月を重ねると、感情の表現はどんどん省略されていきます。夫婦でも、家族でも、言わなくても分かるだろうという省略が積み重なっていく。その省略は信頼の形でもありますが、時々、省略しすぎて何も伝わっていなかったことに、あとから気づかされることもあります。
磐田で家や相続の相談を受けていると、言葉にしなかった気持ちの話に、よく行き当たります。感謝していたのに言わなかった、大事に思っていたのに伝わっていなかった。家族だからこそ省略してしまった言葉が、あとになって、ほどけない結び目として残っている。そういう場面に立ち会うたびに、気持ちは出し惜しみしない方がいい、というこの曲の単純な主張が、実はとても実践的な知恵だったのだと思い知らされます。土地や家の相続の相談というのは、結局のところ、家族が生きているうちに言えなかった言葉の後始末をしているようなところがあります。
東京で働いていた頃の自分は、仕事の言葉と気持ちの言葉をはっきり分けて使っていました。仕事の場では効率よく、感情はできるだけ持ち込まない。それが大人のやり方だと思っていた節があります。ですが、磐田に戻って土地や家、家族の暮らしに近いところで仕事をするようになってから、その分け方の方が実は不自然だったのではないかと思うようになりました。家の相談は結局、そこに住んできた人たちの気持ちの積み重ねを聞く仕事です。効率よりも先に、出し惜しみしない言葉が必要になる場面の方が多いのだと、この曲を聴くたびに思い出させられます。
はじめて付き合った人は、私に感情の使い方の最初の練習をさせてくれた人でした。あれから30年以上が経ち、感情の省略ばかり上手になった今、この曲はときどき、あの頃の等倍の気持ちを思い出させに来ます。いっぱいキスしよう、と言い切ってしまえるまっすぐさ。あれは若さの特権ではなく、本当はいつでも選び直せる態度なのだと、この曲は歌っている気がします。家族に対しても、仕事の相手に対しても、出し惜しみしないという選択は、今日からでも選び直せる。この曲を聴くたびに、そのことをあらためて思い出させてもらっています。
公式MVがない曲を、映像込みで聴くということ
今回の記事を書くにあたって参照したYouTube動画についても、正直に書いておきたいと思います。今回もとにしたリンクは、「山下久美子_Kumiko Yamashita」チャンネルに上がっている「Ippai Kiss Shiyou」で、画面には「提供:Kumiko Yamashita - Topic」という表記があります。これはYouTube Music側が楽曲データをもとに自動生成する形式のチャンネルで、動画の説明欄にも「Provided to YouTube by Universal Music Group」と記されています。実際に開いてみると、映像はほぼ黒一色の画面が続くだけで、演出やカット割り、物語性を持った映像は存在しません。つまりこの動画は、公式なミュージックビデオではなく、音源そのものを聴くための入口として機能しているものです。
1993年当時、この曲にミュージックビデオが制作されていたかどうか、現時点で確認できる公式な情報は見当たりませんでした。当時のテレビ歌番組の出演映像や東芝グループのCM映像がこの曲の「映像的な記憶」を担っていた可能性はありますが、断定できる資料がないため、この記事ではその点をあくまで推測にとどめます。だからこそ、この曲の魅力を語るうえで映像を主役にするのは難しく、大石セレクションとしても、MVがいいは原則どおり星1とするのが誠実な評価だと考えました。
一方で、映像がないからこそ際立つものもあります。音だけで完結しているこの曲は、聴き手それぞれの記憶の中に、それぞれの映像を投影させる余地を持っています。私にとってのそれは、改札の向こうから歩いてくる誰かの姿でした。公式MVという正解が用意されていない分、聴く人の数だけ違う情景が立ち上がる。それもまた、この時代のヒット曲が持っていた一つの豊かさだったのではないかと思います。
参考リンク
- [1] いっぱいキスしよう - Wikipedia
- [2] CENTURY LOVERS - Wikipedia
- [3] いっぱいキスしよう | 山下久美子 - ORICON NEWS
- [4] 山下久美子 = Kumiko Yamashita – いっぱいキスしよう - Discogs
- [5] いっぱいキスしよう - 山下久美子 - Recochoku
音楽には、聴いた人の数だけ景色が残ります。家や土地にもまた、そこで暮らした人たちの記憶が積み重なっています。
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