ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=M4sWFgBYNbI
確認した動画: 山崎まさよし / セロリ(OfficeAugusta公式)

大石セレクション:曲がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★★
  • 歌詞がいい:★★★★☆
  • MVがいい:★★☆☆☆

選定理由:この曲の背骨は、ルート音が半音ずつ下がっていく、いわゆる「クリシェ」進行にある。アコースティックギター一本でここまで陰影のある響きを作れることに、聴くたびに驚かされる。歌詞も普遍的で強いが、その歌詞を支えているのがこの静かなコードワークだと分かってしまうと、主視点は「曲がいい」から動かせない。MVについては、YouTube上で確認できる本人歌唱の映像はあるものの、物語性の強い公式ミュージックビデオとして広く語られている情報は乏しく、評価は控えめにした。

多くの人が山崎まさよしの「セロリ」と聞くと、1997年にSMAPがカバーした躍動感あふれるポップバージョンを思い浮かべるかもしれません。しかし、その前年である1996年に彼自身が作詞・作曲し、3枚目のシングルとして世に送り出したオリジナル版には、全く異なる手触りの温もりとプライベートな空気が漂っています。アコースティックギターの柔らかな響きと、語りかけるような素朴な歌声。そこには、他者と生きることの難しさと愛おしさが、飾らない日常の言葉で紡がれています。この曲が描くのは、恋愛における単なる擦れ違いや妥協ではなく、「育ってきた環境が異なる他者同士が、互いの違いを認め合いながら共に歩む」という、人間関係の本質的なテーマです。

私自身、この曲がリリースされた1990年代半ばは東京でがむしゃらに働き、自分自身のキャリアや人間関係に模索していた時期でした。何者かになりたいという強い野心と焦燥感の中で、多くの人々と出会い、時には価値観の相違にぶつかりながら日々を過ごしていました。その後、故郷である静岡県磐田市に戻り、高齢者介護や不動産の仕事を重ねるようになった今、この「セロリ」という楽曲が持つメッセージの深さが、より一層心に染みるようになっています。介護現場において一人ひとりの異なる個性や嗜好を受け入れるケアの姿勢、そして不動産取引において異なる希望や思い出を抱く家族の意見を調整する仕事。それらすべての営みは、この曲の根底にある「他者との違いを受容する」というテーマと深く結びついています。

本稿では、山崎まさよしのオリジナル版「セロリ」が持つ独自の音楽的魅力と制作背景を紐解きながら、大都市・東京で葛藤した若い日の記憶、そして磐田の地で介護と不動産という二つの窓から見つめてきた人生のグラデーションを重ね合わせ、この名曲の本質に迫ってみたいと思います。

山崎まさよしの原点――1996年アコースティック・ポップの名曲とSMAPカバーの軌跡

「セロリ」は、1996年9月1日に山崎まさよしの通算3枚目のシングルとしてリリースされました。当時の山崎はデビューから間もないシンガーソングライターであり、洗練されたギターワークとブルージーな感性を持つ新進気鋭の存在として注目され始めていました。この楽曲は彼が自ら作詞・作曲、さらにはプロデュースまでを手掛けた、まさに自己のクリエイティビティを純粋に結晶化させた作品です。同年11月には、自身のプライベートスタジオで録音されたアコースティック色のより強いバージョンが、プライベート・アルバム『STEREO』に収録されるなど、彼自身にとっても非常に愛着の深い、創作の原点とも言える楽曲でした。

この曲が世の中に爆発的に広まる契機となったのは、翌1997年5月14日にリリースされたSMAPによるカバーです。フジテレビ系ドラマ『いいひと。』の主題歌として起用されたSMAP版は、豪華なブラスセクションと弾けるような16ビートを前面に押し出した華やかなダンスポップにリアレンジされ、ミリオンセラーに迫る大ヒットを記録しました。これにより、作詞・作曲者である山崎まさよしの名前も全国区へと躍り出ることになります。

しかし、SMAPのバージョンが持つ「皆で歌って踊れるポップソング」としての魅力に対し、山崎のオリジナル版は「一対一で静かに語り合うプライベートな音楽」としての性格を強く持っています。彼の温かく、どこか照れくさそうな歌声と、最小限の楽器構成が織りなす親密な空気感は、聴き手を都会の喧騒から切り離し、自分の部屋で大切な誰かと向き合っているような錯覚を抱かせます。

1990年代半ばの東京は、バブル崩壊後の混乱の中にありながらも、依然として情報の消費速度が速く、華やかな流行が次々と生まれては消えていく街でした。私自身もそのスピード感の中で溺れそうになりながら、仕事と人生の基盤を作ろうと必死になっていました。当時、テレビや街中で絶え間なく流れていたSMAPの「セロリ」に元気をもらう一方で、深夜に一人で耳を傾ける山崎まさよしのオリジナル版には、都会の競争社会で張り詰めた心を優しく緩めてくれるような、不思議な安心感がありました。それは、大きな流行の影に隠された、個人の静かな生活や細やかな感情を肯定してくれる音楽だったからです。

弾むアコースティック・ギターと「語りかける声」――『セロリ』の音楽的特異性

音楽的な側面から「セロリ」を分析すると、その魅力は極めて計算されたコードワークと、それに相反するようなリラックスした演奏のグルーヴにあります。全編を通じて楽曲を牽引するのは、山崎まさよしの代名詞とも言えるアコースティックギターのバウンシーなリズムです。彼特有の軽快なミュートを交えたストロークとアルペジオは、ただ伴奏として機能するだけでなく、それ自体がパーカッシブな打楽器のような役割を果たしています。そこに寄り添うブルースハープ(ハーモニカ)の哀愁を帯びた音色や、素朴なタンバリンの響き、そしてシンプルで無駄のないリズムセクションが加わることで、洗練されていながらも手作り感の残る極上のアコースティック・グルーヴが形成されています。

コード進行においても、この曲は非常に技巧的なアプローチを取っています。キーとなるセクションでは、「Bm → BmM7 → Bm7 → Bm7(♭5)」という、ルート音が半音ずつ下降していく「クリシェ」と呼ばれる進行が効果的に用いられています。このコード進行は、メロディにほの暗い叙情性と、単なる明るいポップスには留まらない絶妙な陰影を与えています。さらに、中盤で展開される言葉を早口で詰め込む特徴的なボーカルスタイルは、人間のとりとめない思考のループや、関係性の中で生じる葛藤をリズミカルに体現しており、聴き手を飽きさせません。

このアコースティックなグルーヴと、テクニカルでありながら耳馴染みの良いメロディの融合は、東京での若い日に異なる背景を持つビジネスパートナーたちと関わっていた頃の私の記憶を呼び起こします。当時の仕事の現場では、出身地も年齢も、これまで歩んできたキャリアも全く異なる人々が集まり、一つのプロジェクトを進めていました。それぞれの主張や進め方の違いに戸惑い、自分のやり方が通じずに思い悩む夜も多くありました。

しかし、お互いに違うリズムを持ちながらも、粘り強く対話を重ねる中で、ふと全員の呼吸が合い、仕事がスムーズに回り始める瞬間がありました。それはまさに、異なる音色がアコースティックギターの強いビートに引っ張られて一つの美しいアンサンブルを形作る、「セロリ」の音楽的な調和のプロセスと重なります。相手を自分の型に嵌め込もうとするのではなく、それぞれの癖や個性を生かしたまま、全体として心地よいグルーヴを作り出すこと。その大切さを、この曲の巧みなアレンジは教えてくれているように思えます。

「育ってきた環境が違うこと」を受け入れる――介護現場における人間理解と受容のケア

「セロリ」のテーマで最も人々の心に残り続けているのは、育ってきた環境や生活習慣、味の好みといった細かな「違い」を、無理に矯正するのではなく、あるがままに受け入れるという寛容な人生態度です。私たちは誰しも、自分にとっての「当たり前」を基準にして他人を判断しがちです。しかし、人間関係が深まるにつれて、その「当たり前」が相手には通用しないという現実に直面します。この曲は、そうした違いに対して怒ったり嘆いたりするのではなく、「そういうものだ」と軽やかに笑い飛ばし、それでも一緒にいることを選ぶという大人の人間関係のあり方を提示しています。

この「違いを受け入れる」という態度は、私が故郷の磐田に戻り、高齢者介護の仕事に身を置く中で、最も重要だと実感したケアの本質そのものです。介護施設には、それぞれ異なる大正や昭和の時代を生き抜き、異なる家庭環境で長年暮らしてきた高齢者の方々が集まります。一人ひとり、食事の好みも、起きる時間も、言葉遣いも、人生において大切にしてきた価値観も全く異なります。認知症が進行している方であれば、その人だけの独特な世界観や論理を持って行動されていることも少なくありません。

介護の現場において、もしケアを行う側が「施設のルール」や「社会的な正しさ」を押し付け、利用者の行動をコントロールしようとすれば、そこには必ず強い反発や不安が生じます。最も大切なのは、その方が「なぜそのように行動するのか」を理解しようと努め、たとえ自分たちの理解を超えるものであっても、その方のありのままの存在と個性を否定せずに受け入れることです。

「セロリ」が歌うように、好みの違いや習慣のズレを「直すべき問題」にするのではなく、「その人の一部」として尊重すること。それは介護における「受容と傾聴」のプロセスと完全に一致します。磐田の介護現場で多くの入居者様やそのご家族の人生に伴走する中で、私はこの曲の持つ温かな諦念と深い包容力が、人と人が穏やかに共生するためにどれほど欠かせないものであるかを、日々学び続けています。

異なる価値観を繋ぎ調和を生む――不動産・実家整理で求められる調整力

介護の仕事から派生し、磐田やその周辺地域で行っている不動産の仕事、特に「実家じまい」や相続した不動産の整理といった場面でも、「違いの受容と調整」は常に中心的な課題となります。実家という場所は、ただの「土地と建物」という資産ではありません。そこには、旅立たれたご両親の長年の暮らしの記憶、幼少期の思い出、家族の喜怒哀楽が染みついています。そのため、その実家をどのように処分し、整理するかという問題に直面したとき、残された家族の間で驚くほど多様な意見や感情の相違が噴出することがあります。

ある兄弟は「思い出が詰まった実家を壊したくない、売るべきではない」と主張し、別の兄弟は「今後の維持管理や固定資産税の負担を考えれば、早期に売却すべきだ」と現実的な視点に立ちます。また、配偶者や親戚の意見も加わり、家族会議の場が感情のぶつかり合いになることは珍しくありません。それぞれが実家に対して異なる思い入れを持ち、異なる事情を抱えているため、誰の意見が絶対に正しいとは言いきれないのです。

このような不動産取引の現場で、私たちコンサルタントに求められるのは、単に事務的に契約を進めることではありません。まずはご家族全員の異なる声に耳を傾け、それぞれの胸の内にある「手放したくない悲しみ」や「今後の生活への不安」といった異なる感情を丸ごと受け止めることです。その上で、誰もが納得できる妥協点を見出し、対立しあう価値観のバランスを取りながら、家族の絆を壊さずに合意形成へと導くことが私たちの真の役割です。

「セロリ」という楽曲が、擦れ違いながらも最終的には同じ場所に落ち着く二人の姿を描いているように、不動産の調整仕事もまた、異なる意見を持つ家族が互いの想いを認め合い、最後には一つの納得へと着地するプロセスです。磐田の地域社会で、家や土地の整理を通じて人々の人生の岐路に立ち会い、それぞれが新たな一歩を踏み出せるようサポートすること。それは、お互いの「違い」を認め合いながらも、共に未来へと歩みを進める調和の場を作ることに他ならないのです。

ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、互いの違いを受け入れた記憶を読み直す場所です。