久保田利伸「Missing」を聴くたびに、最初に浮かぶ言葉はいつも同じです。せつないけど、いい。この曲のせつなさは、若い頃に感じたものと、歳月を重ねてから感じるものとで、少しずつ質が変わってきました。若い頃は、恋の終わりの歌として聴いていました。今は、もっと広いものを失う歌として聴いています。人でも、時間でも、街でも、手の中にあるうちはその大切さに気づけず、失ってから輪郭がはっきりする。そういう普遍的な喪失を、この曲は派手に泣かせるのではなく、夜の静けさの中でそっと差し出してきます。この曲はシングルとして世に出たわけではなく、1986年のデビューアルバムに収められた1曲として静かに始まりました[1]。それでも時間をかけて多くの人に見つけられ、歌い継がれてきた経緯そのものが、曲の中身と重なって聴こえます。目立つ場所に置かれなかったものが、それでも長く残っていく。そういう回り道のような残り方を、この曲は体現しているように思います。
シングルではなかった名曲 — 1986年の事実
「Missing」は、1986年9月10日にリリースされた久保田利伸の1stアルバム『SHAKE IT PARADISE』の4曲目に収録された楽曲です[1]。作詞・作曲はいずれも久保田利伸本人によるもので、編曲を杉山卓夫が手がけたことが知られています[1]。意外に思われるかもしれませんが、この曲はシングルとして発売された曲ではありません。アルバムの中の1曲として世に出て、それがラジオや口コミでじわじわと広がり、いつのまにか本人の代表曲になっていきました。シングルという分かりやすい看板を持たないまま、曲の力だけで残り続けたということです。日本レコード協会の発表によれば、2016年5月度のダウンロード認定で、この曲はフル配信75万件(トリプル・プラチナ)の認定を受けています[1]。これは初出から29年8か月を経てのことで、1980年代の楽曲でこの水準に到達した例は当時2曲しかなかったと伝えられています[1]。
久保田利伸自身のメジャーデビューは、1986年のシングル「失意のダウンタウン」だったとされています。つまり「Missing」はデビュー・シングルそのものではなく、それに続くデビューアルバムの中に置かれた1曲だったということになります。それでもこの曲が後年まで代表曲として語られ続けたのは、シングルという看板の有無とは関係のない場所で、曲そのものの強さが評価され続けてきたからだと感じます。1986年当時の日本のポップスは、まだ歌謡曲の文法が色濃く残っていた時代です。その中で、本格的なブラックミュージックを日本語詞に自然な形で融合させた新人が現れたことは、当時の音楽シーンにとって新鮮な事件だったのだろうと想像します[3]。久保田利伸は「キング・オブ・Jソウル」「R&Bのパイオニア」と呼ばれるようになっていきますが[3]、その評価の土台のひとつに、デビュー間もない時期からこれほど密度の高いバラードを書き、歌いこなせていたという事実があったのだろうと思います。中島美嘉、平原綾香、槇原敬之など、ジャンルも世代も異なる歌い手たちがこの曲をカバーしてきたという事実そのものが、曲の骨格の強さを物語っているように思えます[1]。
せつなさの正体
私がこの曲をよく聴いていたのは、東京で働いていた頃の夜でした。終電で帰って、部屋の明かりをつける前に、しばらく暗いままカーテンの外の街灯を眺めていた時期があります。仕事の内容そのものに不満があったわけではありません。むしろ忙しくしていることが、何かを見ないための言い訳になっていたのだと思います。そういう夜に「Missing」はよく合いました。何か具体的に悲しいことがあったわけではないのに、胸の奥が細く締め付けられる。あのせつなさの正体を、当時はうまく説明できませんでした。
今になって思うのは、あれは「失いつつあるものに、うすうす気づいていた」せつなさだったということです。実家から離れて暮らす時間が長くなるほど、帰る場所の記憶は少しずつ薄れていきます。両親の年齢も、地元の風景も、自分がいない間に確実に変わっていく。若い頃はそれを直視しないようにしていましたが、夜にこの曲を聴くと、見ないようにしていたものが静かに顔を出しました。恋の歌として書かれた曲が、聴き手の中では、もっと大きな喪失の歌に育っていく。名曲と呼ばれる曲は、たいていそういう育ち方をするのだと思います。当時の自分にとって、東京での生活は前に進んでいる実感そのものでしたが、同時にそれは、地元との距離を少しずつ広げていく時間でもありました。得ているものと失っているものが、同時に進行している。そのことに気づかないふりをするための忙しさだったのかもしれません。
「せつないけど、いい」という感覚は、よく考えると不思議なものです。せつなさは本来、避けたい感情のはずなのに、この曲のせつなさには何度でも浸りたくなる。それはたぶん、この曲が悲しみを解決しようとしないからです。失ったものは戻らないという事実を、ごまかさず、それでいて突き放さず、ただ一緒に抱えてくれる。杉山卓夫による編曲は[1]、サビに向けて音数を積み上げていくというより、声の周りに静かな余白を残しているように聴こえ、その余白の分だけ、聴き手が自分の記憶を持ち込む隙間ができているのかもしれません。派手なストリングスで感情を煽るのではなく、間を信頼して作られている曲だからこそ、聴くたびに違う記憶がそこに入り込んでくるのだと思います。夜にこの曲を聴き終えたあと、悲しみが消えるわけではないのに、少しだけ呼吸が楽になっている。その感覚を、私は30年以上あじわい続けています。
プリンセス プリンセスの「M」と並んだ数字
この曲には、時間の力を証明する数字があります。日本レコード協会の発表によれば、2016年5月度のダウンロード認定で、「Missing」はフル配信75万件(トリプル・プラチナ)の認定を受けたとされています[1]。1980年代の楽曲でこの水準に到達した例は、当時この曲と、プリンセス プリンセスの「M」の2曲のみだったと伝えられています[1]。この符合には少し驚きました。というのも、「M」もこのサイトで記事にした曲で、あちらも失った相手の記憶を歌ったバラードだからです。ジャンルもリリースの経緯も異なる2曲が、30年という時間を経て同じ場所にたどり着いていたという事実には、単なる偶然を超えたものを感じます。
30年近く前の曲を、配信という新しい形でわざわざ探して聴く人が数十万人単位でいた。その多くは、リアルタイムで聴いた世代が記憶をたどって再会したケースと、親の世代の曲を若い人が新しく見つけたケースの両方だったのではないかと想像します。失ったものを歌う曲が、時間を越えて何度も見つけ直される。曲の内容と、曲のたどった運命が、きれいに重なっているように感じられます。いい曲は消えないという言い方はよくされますが、この数字はそれを裏付ける、めずらしく具体的な手がかりだと思います。この曲は「噂の達人」(TBS系)や「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日系)のエンディングテーマとして使われた時期もあったと伝えられており[1]、そうした形で曲に再び光が当たるたびに、新しい聴き手が少しずつ加わっていったのだろうと想像します。2010年の「FNS歌謡祭」では平井堅との共演も伝えられており[1]、世代の違う歌い手が同じ曲に立ち返っていく様子も印象的です。ヒットチャートの1位を取った曲ではないのに、これだけ長く、これだけ広く聴かれ続けている。そのこと自体が、この曲の価値を静かに証明しているように思えます。
公式動画が選んだ距離感
この曲の公式動画としては、本人公式YouTubeチャンネルで公開されている「Missing [Official Video]」を確認しました[5]。同チャンネルには、2018年11月に公開されたショートバージョンや、2012年のコンサートツアーからの公式ライブ映像も存在します[5]。また、TVアニメ『Let's Play クエストだらけのマイライフ』とのコラボ企画として、この曲のリリックビデオが公開されたことも報じられています[6]。このリリックビデオは、主人公とその仲間の関係性を、歌詞のテロップと共に静かに映していく作りで、久保田利伸自身の姿が前面に出るタイプの映像ではありません。公式動画を確認する限り、この曲の映像表現は、ドラマチックな物語を新たに立ち上げるというより、歌詞や声そのものを引き立てる、控えめな伴走者としての性格が強いように感じます。それは決して手を抜いた作りということではなく、むしろこの曲が持つ「余白を信頼する」という音楽的な性格と一貫しているとも言えます。ただ、映像を見ることで曲の解釈が大きく変わる、あるいは新しい発見が生まれるというタイプのMVではないため、曲や歌詞の強さと比べると、主視点として選ぶには一歩譲るというのが正直な評価です。声と言葉だけで成立している曲だからこそ、映像は寄り添う程度でちょうどいいのかもしれません。
磐田の夜に聴くMissing
磐田に戻ってからも、車の中でこの曲を流すことがあります。夜、仕事の帰りに国道から一本入った暗い道を走りながらこの曲が流れると、東京の夜とはまた違う聴こえ方がします。街灯の間隔が広く、遠くに田んぼの匂いが混じるような夜道では、都会の夜に感じていた尖ったせつなさが少し丸くなって、代わりに広く静かな寂しさに変わる。同じ曲なのに、土地が変わるとこんなに聴こえ方が変わるのかと、そのたびに少し驚きます。こちらでの仕事は、家や土地、空き家や相続に関わることが多いのですが、そこで日々出会うのは、まさに「失ってから気づく」という話です。土地の値打ちや建物の状態を数字で見ていくだけでは済まない相談ばかりで、話を聞いているうちに、いつのまにか土地そのものより、そこで過ごされた時間の話になっていくことがよくあります。親が元気なうちに聞いておけばよかった。家があるうちに一度戻っておけばよかった。相談に来られる方の言葉の多くは、この曲のテーマとまっすぐ重なります。
空き家になった実家の玄関先に立つと、時間が止まったような静けさを感じることがあります。誰もいない家は、思っていたより雄弁です。ここで誰かが暮らし、ここで誰かを見送った気配が、家具のない部屋にもうっすら残っている。そういう場所に立つとき、頭の中で流れるのがこの曲であることが、これまで何度もありました。悲しい場面で悲しい曲をかけているつもりはないのですが、静かな余白を残した曲だからこそ、その場の沈黙とけんかをせず、寄り添ってくれるのだと思います。仕事の相談を受ける中で、家族の写真や子どもの頃の道具が残されたままの部屋を目にすることも少なくありません。持ち主にとっては当たり前だった日常の断片が、そこだけ時間の流れから切り離されたように残っている。片づけるべきものと、残しておきたいものの間で迷う気持ちは、失うことをまだ受け入れきれていない気持ちと、よく似ているのだと思います。
ただ、この曲を聴いていて思うのは、失った後の時間も、決して空っぽではないということです。失ったからこそ見える大切さがあり、それを言葉にして次の世代に手渡すことができる。せつなさは、記憶が生きている証拠でもあります。「Missing」がシングルという看板なしに、それでも40年近く歌い継がれてきたように、失われた家や暮らしの記憶も、誰かが語り直せば残っていきます。仕事として家や土地に関わる中で、私はこの「語り直す」という作業の一部を担っているのだと感じることがあります。壊すにしても残すにしても、その前に一度、そこにあった暮らしを言葉にしておく。家族に囲まれて過ごす今の時間も、いずれ誰かにとっての記憶になっていくのだと思うと、目の前の当たり前を少し違う目で見られるようになる気がします。せつないけど、いい。この言葉は、曲の感想であると同時に、過去と付き合っていくときの、ひとつの姿勢なのかもしれません。
せつなさの奥にある記憶が、いつか誰かの支えになるように、家や土地にもまた、誰かが積み重ねた暮らしの時間が残っています。
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