ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://youtu.be/K55HX0Gv-9I
確認した動画: 久保田利伸 - Missing [Official Video](本人公式チャンネル)

久保田利伸「Missing」を聴くたびに、最初に浮かぶ言葉はいつも同じです。せつないけど、いい。この曲のせつなさは、若い頃に感じたものと、歳月を重ねてから感じるものとで、少しずつ質が変わってきました。若い頃は、恋の終わりの歌として聴いていました。今は、もっと広いものを失う歌として聴いています。人でも、時間でも、街でも、手の中にあるうちはその大切さに気づけず、失ってから輪郭がはっきりする。そういう普遍的な喪失を、この曲は派手に泣かせるのではなく、夜の静けさの中でそっと差し出してきます。久保田利伸という人は、日本にR&Bやソウルの言葉を根付かせた歌い手ですが、この曲に流れているのは技術の誇示ではなく、声そのものの体温です。高く伸びるファルセットが、悲しみを叫びに変えず、むしろ静けさの方へ運んでいく。だから何十年経っても聴き飽きることがなく、夜にひとりで聴くと、そのたびに違う記憶が浮かび上がってきます。

シングルではなかった名曲 — 1986年の事実

「Missing」は、1986年9月10日にリリースされた久保田利伸の1stアルバム『SHAKE IT PARADISE』に収録された曲です。意外に思われるかもしれませんが、この曲はシングルとして発売された曲ではありません。アルバムの中の1曲として世に出て、それがラジオや口コミでじわじわと広がり、いつのまにか本人の代表曲になっていきました。シングルという分かりやすい看板を持たないまま、曲の力だけで残り続けたということです。デビューアルバムにこれほどのバラードが収められていたこと自体、当時の音楽シーンにとって事件だったのだと思います。

1986年という年を思い返すと、日本のポップスはまだ歌謡曲の文法が強く残っていた時代です。その中で、ソウルやR&Bを日本語で歌いこなす新人が現れて、しかもデビュー作の中に、こんなに静かで深いバラードを置いていた。「Missing」が長く歌い継がれてきたのは、時代の流行に乗ったからではなく、最初から流行の外側にある普遍的な場所に立っていたからだと感じます。多くのアーティストがこの曲をカバーしてきたのも、歌い手にとってこの曲が、自分の声の深さを測る基準のような存在だからではないでしょうか。

後年の話ですが、2010年のFNS歌謡祭では、久保田利伸が平井堅とこの曲を一緒に歌う場面がありました。世代の違う2人の歌い手が、同じ曲の上で声を重ねる。四半世紀近く前のアルバム曲がそういう舞台に呼び出されること自体、この曲がどれだけ特別な場所に置かれているかの証拠だと思います。

せつなさの正体

私がこの曲をよく聴いていたのは、東京で働いていた頃の夜でした。終電で帰って、部屋の明かりをつける前に、しばらく暗いままカーテンの外の街灯を眺めていた時期があります。そういう夜に「Missing」はよく合いました。何か具体的に悲しいことがあったわけではないのに、胸の奥が細く締め付けられる。あのせつなさの正体を、当時はうまく説明できませんでした。

今になって思うのは、あれは「失いつつあるものに、うすうす気づいていた」せつなさだったということです。実家から離れて暮らす時間が長くなるほど、帰る場所の記憶は少しずつ薄れていきます。両親の年齢も、地元の風景も、自分がいない間に確実に変わっていく。若い頃はそれを直視しないようにしていましたが、夜にこの曲を聴くと、見ないようにしていたものが静かに顔を出しました。恋の歌として書かれた曲が、聴き手の中では、もっと大きな喪失の歌に育っていく。名曲と呼ばれる曲は、たいていそういう育ち方をするのだと思います。

「せつないけど、いい」という感覚は、よく考えると不思議なものです。せつなさは本来、避けたい感情のはずなのに、この曲のせつなさには何度でも浸りたくなる。それはたぶん、この曲が悲しみを解決しようとしないからです。失ったものは戻らないという事実を、ごまかさず、それでいて突き放さず、ただ一緒に抱えてくれる。夜にこの曲を聴き終えたあと、悲しみが消えるわけではないのに、少しだけ呼吸が楽になっている。その感覚を、私は30年以上あじわい続けています。

プリンセス プリンセスの「M」と並んだ数字

この曲には、時間の力を証明する数字があります。初出から29年8ヶ月後の2016年5月、日本レコード協会の認定で、「Missing」はフル配信75万ダウンロード(トリプル・プラチナ)を達成しました。1980年代の楽曲でこの水準に到達した例は、当時この曲と、プリンセス プリンセスの「M」の2曲だけだったそうです。この符合には少し驚きました。というのも、「M」もこのサイトで記事にした曲で、あちらも失った相手の記憶を歌ったバラードだからです。

30年前の曲を、配信という新しい形でわざわざ探して聴く人が75万人いた。その多くは、リアルタイムで聴いた世代が記憶をたどって再会したケースと、親の世代の曲を若い人が新しく見つけたケースの両方でしょう。失ったものを歌う曲が、時間を越えて何度も見つけ直される。曲の内容と、曲のたどった運命が、きれいに重なっています。いい曲は消えないという言い方はよくされますが、この数字はそれを裏付ける、めずらしく具体的な証拠だと思います。

磐田の夜に聴くMissing

磐田に戻ってからも、車の中でこの曲を流すことがあります。夜、仕事の帰りに国道から一本入った暗い道を走りながらこの曲が流れると、東京の夜とはまた違う聴こえ方がします。こちらでの仕事は、家や土地、空き家や相続に関わることが多いのですが、そこで日々出会うのは、まさに「失ってから気づく」という話です。親が元気なうちに聞いておけばよかった。家があるうちに一度戻っておけばよかった。相談に来られる方の言葉の多くは、この曲のテーマとまっすぐ重なります。

ただ、この曲を聴いていて思うのは、失った後の時間も、決して空っぽではないということです。失ったからこそ見える大切さがあり、それを言葉にして次の世代に手渡すことができる。せつなさは、記憶が生きている証拠でもあります。「Missing」が40年近く歌い継がれてきたように、失われた家や暮らしの記憶も、誰かが語り直せば残っていきます。せつないけど、いい。この言葉は、曲の感想であると同時に、過去と付き合っていくときの、ひとつの姿勢なのかもしれません。

ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、失って初めて見えた大切なものの記憶を読み直す場所です。