「格好悪いふられ方」は、ヒットチャートの頂点近くで多くの人に届いた曲でした。一方「Rain」は、それとは違う届き方をした曲だと思います。1988年のアルバム収録曲として長く聴き継がれ、シングルとして正式にカットされたのは、実に34年後のことでした。大江千里本人が語るところによれば、この曲は考え抜いて作った曲ではなく、つつじヶ丘の駅前で雨に濡れて急ぐ人々の姿を見た瞬間、そのまま持ち帰り、鍵盤とカセットレコーダーの前で一気に形にした曲だといいます。「降りてきた」という言葉を、本人はそのまま使っています。頭で組み立てるのではなく、受け取ってしまう。そういう作られ方をした曲が、なぜか長く生き延び、世代の違う歌い手に何度も選ばれ続けている。槇原敬之が1998年に、秦基博が2013年に、渡辺美里もその後にこの曲をカバーしたと伝えられています。作った本人が想像していた以上の距離を、この曲は歩いてきたのだと思います。私自身、この曲を最初に意識したのは大江千里の名前としてではなく、誰かのカバーを通してでした。原曲を後から辿り、雨の曲がこれほど長く手渡され続けている理由を、東京で働いた日々や、磐田に戻ってからの暮らしと重ねながら、考えるようになりました。
つつじヶ丘の雨と、一気に生まれた曲
「Rain」は、1988年7月21日にEPIC/SONY RECORDSからリリースされた大江千里の7作目のオリジナルアルバム『1234』に収録された楽曲です。編曲は大村雅朗が手がけたとされています。大江千里が後年のインタビューで明かしたところによれば、当時は覚えたての車でビデオレンタル店に通い、映画を観てはノートに感想を書き留め、そこから架空の物語を作って詞と曲にするという作り方をしていたそうです。ところが「Rain」が生まれた日は違いました。つつじヶ丘の駅の近くで車を止めていたところ、急に雨が降り出し、もやがかかる中を会社帰りの人たちが足早に歩いていく光景に出会った。ビデオを借りることもせずそのまま帰宅し、ヤマハのキーボードとマランツのカセットレコーダーを前にして、一気に曲を仕上げたといいます。頭で考えて組み立てたのではなく、目の前の情景がそのまま曲になった。本人が繰り返し「降りてきた」と表現するのは、単なる比喩ではなく、実際の制作過程の記憶そのものなのだと思います。レコード会社の担当ディレクターは初めて聴いたときに「シングルはこの曲だ」と感じたとも伝えられていますが、当時は結局シングル化されず、アルバムの中の一曲として長い時間を過ごすことになりました。
34年越しのシングル化と、歌い継がれる理由
「Rain」がシングルとして正式にリリースされたのは、2022年5月25日のことです。大江千里のデビュー40周年アニヴァーサリー・プロジェクトの第1弾として、発表から34年目にしてようやく7インチシングルとしてカットされました。この空白の34年の間に、この曲は不思議な歩き方をしています。1998年に槇原敬之がアルバム収録曲としてカバーし、2013年には秦基博が新海誠監督のアニメ映画『言の葉の庭』のエンディングテーマとしてカバー、その後渡辺美里もカバー・アルバムでこの曲を取り上げたと伝えられています。秦基博のカバー版はBillboard Japan Hot 100で最高位64位を記録したとされ、原曲がシングルになるより先に、カバーの方がチャートの数字を持つという珍しい経緯をたどっています。オリジナルのアルバム『1234』自体のセールス規模を示す具体的な数字は確認できませんでしたが、シングル化されないまま次々と歌い継がれていったという事実そのものが、この曲の評価を物語っているように思います。秦基博は後のインタビューで、この曲について「圧倒的な情景の広がり方」と「転調を含めたメロディの展開」を挙げ、実際に歌ってみて「めちゃくちゃ難しい曲」だと気づいたと語っています。歌い手たちが口を揃えて難易度の高さに言及するという事実自体、この曲の作りの緻密さを裏づけているように思えます。
音の記憶 — 転調が運ぶ景色
「Rain」を聴き直すと、Aメロの進行にはカノン進行に近い運びが用いられているように聴こえ、キーはAで、テンポは92前後と紹介されることもあるようです。数値そのものより印象深いのは、曲の中で複数回にわたって転調が起きる構成です。歌詞の中の時間の経過が、転調のタイミングと重なって進んでいくように聴こえ、雨に濡れた街を歩きながら少しずつ景色が変わっていく感覚を、聴き手はメロディの推移だけで追体験できるのではないかと思います。派手なサビで押し切るのではなく、コードの色合いが変わるたびに情景が一段ずつ変化していく。これは、映画のワンシーンをノートに書き留めて曲にしていたという大江千里の作曲法とも重なって聴こえます。物語を語るように音楽を運ぶ手つきが、この曲の骨格を作っているのではないでしょうか。ボーカルも決して声を張り上げるタイプではなく、雨に濡れた記憶をそっと差し出すような歌い方に聴こえます。だからこそ、槇原敬之や秦基博、渡辺美里といった声質もキャリアもまったく異なる歌い手たちが、それぞれの声でこの曲を成立させられたのだと思います。曲の骨格がしっかりしていて、歌い方の自由度を受け止めるだけの余白がある。歌詞そのものを引用することは控えますが、雨に濡れた街の質感と、誰かを思う心の揺れが、時間の経過とともに描かれていく構成には、詩人としての目と、鍵盤に向き合う演奏家としての耳の両方が働いているように感じられます。
降りてくるものを、家と土地の仕事で受け取る
東京で働いていた頃、私は企画やアイデアを、たいてい頭で考え抜いて絞り出していました。会議室でホワイトボードに向かい、論理を積み上げて結論を導く。それが仕事のやり方だと信じていました。けれど本当に良いものは、考え抜いた末にではなく、ふとした瞬間に降りてくることがある。「Rain」が生まれた経緯を知ったとき、まっさきに思い出したのは、あの頃の自分がどれだけ「降りてくる」ことを軽視していたかということでした。磐田に戻り、家や土地、相続の相談を受ける仕事をするようになってから、この感覚は何度も裏づけられています。長時間かけて条件を整理し、資料を作り込んだ末の提案よりも、依頼者の話を聞いている最中にふと浮かんだ一言の方が、後になって本質を突いていたということが少なくありません。雨の匂いのする夕方、車で現地に向かう道すがら、案件のことを考えているつもりが何も考えていない時間に、ふと道筋が見えることもあります。降りてきたものを疑わず、そのまま口にする勇気が要る場面が、この仕事にもあるのだと思います。
世代を越えて降り注ぎ続ける
「Rain」がこれほど長く歌い継がれてきた理由を考えると、一つの答えに行き着くわけではありません。ただ、雨という誰もが経験する自然現象を軸にしたことで、聴き手それぞれの記憶が曲に重なりやすくなっているのではないかとは思います。槇原敬之や秦基博がこの曲を選んだとき、彼らの中にもきっと、それぞれの雨の記憶が呼び起こされたのでしょう。家族とこの曲について話したことはほとんどありませんが、雨の日に車を運転していてこの曲が流れると、助手席の誰かがふと黙り込む、そんな時間があります。磐田の家の窓から雨脚を眺めているとき、東京で働いていた頃の雨の日の記憶と、この土地で仕事をしている今の雨の日が、静かに重なって見えることがあります。1988年のある雨の夕方、大江千里という一人の作り手のもとに降りてきた曲が、34年の時間と複数の歌い手を経て、今も誰かの記憶の上に降り注ぎ続けている。曲そのものは変わらないのに、受け取る側の景色が変わるたびに、曲の意味も少しずつ更新されていく。それこそが、この曲が持つ最大の力なのだと思います。
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