ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=02x7mh7io_8
確認した動画: Official髭男dism - 「犬かキャットかで死ぬまで喧嘩しよう!」「異端なスター」(Official Live Video)(Official髭男dism公式)

会社員時代、評価される人にはいくつかのタイプがあった。ひとつは、上のやり方を丁寧になぞって、期待された枠のなかで着実に成果を出す人。もうひとつは、誰も選ばないやり方を選び、最初は浮いていたのに、気づけば周囲がそのやり方に合わせ始めている人だった。後者を見ていて感じたのは、型からはみ出すことは失敗のリスクであると同時に、型そのものを塗り替える力を持っているということだ。Official髭男dismが2017年に発表した「異端なスター」は、その感覚を思い出させる曲だ。まだ彼らがメジャーデビュー前、インディーズシーンで一歩ずつ足場を固めていた時期に生まれたこの曲は、後年の「Pretender」や「Subtitle」のような広く知られたヒット曲と並べると、地味な立ち位置にある。けれど、だからこそこの曲には、まだ何者でもなかった頃のバンドの本音が、飾らないまま残っているように聴こえる。この曲は「犬かキャットかで死ぬまで喧嘩しよう!」と同じライブ映像に収録されている。40代になった今、あの頃見ていた「型から外れる人」たちのことを、あらためて考え直してみたくなる曲でもある。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★★☆☆

選定理由:この曲は、ソウルやファンクを軸にした賑やかなアレンジ、じわじわ熱を帯びていく構成のどちらも十分に魅力的だが、いちばん強く胸に残るのは「型から外れることを恐れるな」という言葉そのものの力である。ドラム担当からボーカルへ転向し、銀行員として働きながら音楽を続けた藤原聡自身の歩みが歌詞の芯に重なって聴こえること、そして「スターは異端から生まれる」という逆説が、聴く人それぞれの人生の選択に静かに問いかけてくる強さを持っていることから、主視点は歌詞がいいに置いた。公式MVは確認できず、ライブ映像を中心に評価している。

インディーズ最後期、『レポート』という記録

「異端なスター」は、2017年4月19日にリリースされたOfficial髭男dismの3rdミニアルバム『レポート』の3曲目に収録されている楽曲で、作詞・作曲はボーカルの藤原聡が手がけている(出典:Wikipedia「レポート (アルバム)」、ChordWiki)。『レポート』は「始まりの朝」「犬かキャットかで死ぬまで喧嘩しよう!」「異端なスター」など全7曲、収録時間28分39秒のミニアルバムで、ソウルやファンクなど、ブラックミュージックを軸にした賑やかなサウンドを特徴とすると紹介されている(出典:recochoku作品ページ)。インディーズ作品ながらオリコンアルバムランキングで81位を記録している。バンドはこの翌年、2018年に月9ドラマ主題歌「ノーダウト」でメジャーデビューを果たすことになるが、「異端なスター」が生まれたのはまだその手前、インディーズシーンで着実に支持を広げていた時期にあたる(出典:良盤ディスク「Official髭男dismのインディーズから現在までの経歴」)。派手なブレイクの前に置かれた曲だからこそ、まだ売れる保証のなかった頃の焦りや矜持が、そのままの温度で刻まれているように感じられる。なお、この曲は2020年のオンラインライブ「Official髭男dism ONLINE LIVE 2020 -Arena Travelers-」のセットリストにも組み込まれており、インディーズ期の楽曲でありながら、メジャーデビュー後も彼らのライブで歌い継がれてきたことがうかがえる。

ボーカルの藤原聡は鳥取県米子市の出身で、島根大学在学中はドラム担当としてバンド活動をしていたことが複数のメディアで紹介されている(出典:エンタメクロス、本気の芸能人ブログ)。2012年、同じ島根大学の先輩・後輩や学外の仲間に声をかけてOfficial髭男dismを結成した際、それまでのドラムから初めてボーカルとキーボードへ転向したという経歴を持つ。大学卒業後は地元・島根銀行に営業職として就職し、仕事を続けながら夜行バスで東京のライブに通う生活を送っていたとも伝えられている(出典:Yahoo!ニュース特集、つむらの自腹です)。インディーズデビューを機に銀行を退職した際、上司や同僚、顧客などまわりの人たちが前向きに送り出してくれたという語りも見られる一方、ボーカルへの転向を決めた当初は「音楽で食べていけるのか」といった周囲の懐疑的な声もあったと紹介されることがある。ただし、この点についてはメディアによって伝えられ方に幅があり、断定的な逸話としては扱わない。いずれにせよ、ドラムからボーカルへ、銀行員からミュージシャンへと、その都度「型」を選び直してきた人物であることは間違いない。

「異端」を肯定する、静かな叫び

この曲がテーマにしているのは、「面白くなければならない」「見栄えが良くなければならない」といった、現代のエンタメやSNS社会が無言のうちに強いてくる圧力への疑問だと読み解かれている(出典:UtaTen「どんなスターも異端から」)。誰かの後ろについて歩き、人気者やカリスマを照らす光のひとつになる生き方への違和感が綴られ、「いい子になんてならなくていい」というメッセージへとつながっていく構成だと考察されている(出典:脳MUSIC 脳LIFE「異端なスター」歌詞考察)。ポップでキャッチーなメロディに、泥臭く熱量のある言葉を乗せる組み合わせが、メッセージを素直に受け取りやすくしていると評する記事もある。歌詞そのものを引用することは控えるが、この曲が伝えようとしているのは、型にはまることをやめて、自分の声で叫び、歌うことへの背中の押し方だと聴こえる。すべてのスターは、最初は誰も認めない異端者だったのだという逆説が、静かな確信を持って歌われているように感じられる。無難な生き方を選ぶことで、本来追いかけていたはずの夢や目標が少しずつ色褪せていく心理を描いているという読み解きもあり、聴く人が自分自身のキャリアや選択を重ね合わせやすい構造になっている。

音楽的には、ソウルやファンクの要素を軸にしながらも、ロックバンドらしいギターの疾走感を残したアレンジになっていると聴こえる。Official髭男dismというバンド名自体が、ロック、ポップス、R&Bなど複数のジャンルを横断する彼らの音楽性を体現していると言われており、この曲のサウンドにもその越境的な姿勢がにじんでいるように思える。派手なサビで一気に持っていくタイプの曲ではなく、じわじわと熱を帯びていくような構成に、まだ荒削りだった時期のバンドの手触りが残っているようにも感じられる。歌詞の言葉が持つ熱量と、演奏の骨太さが噛み合っているからこそ、この曲は単なる応援ソングで終わらず、聴くたびに背筋が伸びるような緊張感を残す。

東京で見た、型を疑う人たちの背中

東京で働いていた頃、周囲と同じやり方を選ばず、あえて自分なりのやり方を貫く人を何人か見てきた。最初は浮いて見えても、続けているうちに、その人のやり方のほうが理にかなっていたと分かる瞬間があった。型を疑うことは、勇気よりも先に、孤独を引き受けることを意味する。「異端なスター」というタイトルが示しているのは、その孤独を輝きに変えられるのは、型から外れることを恐れなかった者だけだという、ごくシンプルな事実だと思う。ドラムからボーカルへ、銀行員から音楽の道へと役割を選び直してきた藤原聡自身の歩みも、そうした型の外側を選んだ軌跡のひとつだったのだろう。当時は、型を疑う人のことを少し遠くから眺めているだけだったが、今振り返ると、あの人たちの背中こそが、自分にとっての道しるべだったのかもしれない。

磐田で、家と土地の異端を思う

磐田に戻り、家や土地の相談を仕事にするようになってからも、同じような場面に出会うことがある。相続や空き家の相談では、教科書どおりの分け方や売り方が、必ずしもその家族にとっての最善とは限らない。むしろ、周囲の常識からは少し外れた選択――家族の事情や土地への思い入れを優先した判断――のほうが、結果として穏やかな着地を生むことも多い。「異端なスター」が歌う、型から外れることの豊かさは、そうした一つひとつの家族の決断に対する敬意として、あらためて胸に響いてくる。主流から外れているからこそ輝ける場所が、確かにあるのだと思う。

家というものは、本来どれも似たようでいて、一軒一軒まったく違う事情を抱えている。同じ町内でも、同じ相続の形はひとつとしてない。だからこそ、他所でうまくいった方法をそのまま当てはめようとすると、かえって家族の関係をこじらせてしまうことがある。むしろ必要なのは、その家だけの「異端」な事情に丁寧に耳を傾け、型どおりではない道を一緒に探すことだ。土地や家は、家族の記憶そのものでもある。だからこそ、周囲の常識よりも、その家族がどう納得できるかを優先する判断があってもいい。「異端なスター」を聴くたびに、そういう小さな決断の積み重ねを、これからも大事にしていきたいと思う。

参考リンク

型から外れることを恐れなかった人の歌は、いつも誰かの背中を押します。家や土地の選択にも、教科書どおりではない答えがあっていいと思います。

静岡県磐田市周辺で、相続した実家・空き家・土地建物の整理にお悩みの方は、富士ヶ丘サービスまでご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。