ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=UtersUTYMbE
確認した動画: Original Love & Ovall「接吻」フルサイズ・ミュージックビデオ(Original Love本人公式YouTubeチャンネル)

1993年の「接吻 -Kiss-」については、このサイトでも別の記事で取り上げた。あの曲を初めて聴いたときの記憶は、今もどこかにしまってある。ただ、こちらの2021年版を聴くたびに思うのは、記憶というのは保存しておくものではなく、時々取り出して手を入れないと、いつの間にか色褪せてしまうものだということだ。この「接吻」は、デビュー30周年を迎えたOriginal Loveが、Ovallという別の時代を生きてきたミュージシャンたちと組んで録音し直したものである。同じメロディ、同じ言葉でありながら、演奏する人が変わるだけで、曲の重心も呼吸も変わって聴こえる。磐田で古い家や土地の相談を受ける仕事をしていると、こういう「作り直し」の感覚に、妙に馴染みを覚えることがある。何かを長く残すというのは、そのままの形で凍結させることではなく、その時々の担い手に委ねて、少しずつ姿を変えながら続いていくことなのかもしれない。この記事では、1993年版との聴き比べというより、なぜこの曲が30年近く経ってもう一度呼び出されたのか、その経緯と響きについて書いておきたい。

大石セレクション:曲がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★★
  • 歌詞がいい:★★★☆☆
  • MVがいい:★★★☆☆

選定理由:この版は歌詞もメロディも1993年オリジナルからいっさい変えていない。にもかかわらず、Ovallが持ち込んだ生演奏のリズム、重心の低いドラムとベースの絡み方によって、曲全体の手触りがまったく別物になっている。歌詞の解釈は前作の1993年版記事ですでに深く掘り下げたため、この記事で語れる強さという意味でも、また「作曲・作詞は変わらないのに、演奏だけで曲が生まれ変わる」という現象を語れる強さという意味でも、主視点は曲がいいに置いた。MVはプジョー508のCM映像という商業的な出自を持ちながらも公式フルサイズが確認でき、田島貴男がドライブする画とギターを弾く画の2篇構成で誠実に作られているが、曲そのものの再解釈の鮮やかさには及ばないと判断した。

プジョー508のCMと、30周年イヤーの幕開け

Original Loveは2021年6月14日にデビュー30周年を迎え、この日にあわせてOvallとのコラボレーション版「接吻」の短縮ミュージックビデオが公開された[1]。楽曲はプジョー508の新しいテレビCMソングとして起用され、CM自体は同年6月21日からオンエアが始まっている[2][3]。フルサイズのミュージックビデオはその後、同年9月29日発売のOriginal Love初の公式カバーアルバム『What a Wonderful World with Original Love?』のリリースにあわせて公開され、あらためて世に出た[4][5]。このアルバムには椎名林檎や東京事変、斉藤和義、原田知世といった、Original Loveの音楽に影響を受けた顔ぶれが名を連ねているが、その中でオリジナルの原田知世版でも斉藤和義版でもなく、自身の代表曲をOvallと組んで新たに録り直したという点に、この企画の特別さがあるように思える。CMソングという商業的な文脈から出発しながら、結果としてキャリアを振り返る節目の一曲になった、という順番も興味深いところだ。

休止と再始動を経てきたOvallというバンド

Ovallは、鈴木正人(ベース)、mabanua(ドラム)、関口シンゴ(ギター)による3人組で、メンバー全員がそれぞれソロでも活動するプロデューサー・ミュージシャンである[6]。ジャズやソウル、ヒップホップ、ロックといった要素を分け隔てなく並べ、生演奏とサンプリング的な質感を行き来するようなサウンドで知られており、各メンバーの活動が多忙になったことで2013年に一度活動を休止している。2017年、4年ぶりのライブをきっかけに再始動したという経緯が伝えられている[7]。「接吻」のコラボレーションは、そうして活動を取り戻したOvallと、30周年を迎えたOriginal Loveという、それぞれに時間を経てきたもの同士が組んだ仕事だったと考えると、単なる客演起用とは違う重みを持って聴こえてくる。どちらも一度立ち止まる時期を経験しているからこそ、この新しい「接吻」には、勢いだけではない落ち着いた説得力が宿っているように感じる。mabanuaはドラマーとしてもプロデューサーとしても評価が高く、生ドラムと打ち込みの質感を等価なものとして捉え、曲が求めるグルーヴに応じて使い分ける姿勢で知られている[8]。この曲でも、機械的に整えられたリズムではなく、人が叩いている手応えのようなものが、そのまま音に残っている。

同じ曲なのに、違う場所に立っているような音

2021年版を聴いていて感じるのは、テンポやコード進行はオリジナルを踏襲しながらも、リズムの重心がだいぶ手前に、体温に近いところに置かれているような印象だ。ドラムとベースの絡み方に、生演奏ならではの微妙なゆらぎがあり、1993年のアレンジが持っていたシティポップ的な滑らかさとは違う、もう少し骨太で、じっとりとした質感に変わって聴こえる。歌のメロディそのものは変えていないはずなのに、伴奏が変わるだけでこれほど印象が変わるのかと、あらためて編曲の力を思い知らされる。2022年のアルバム『MUSIC, DANCE & LOVE』には、生のホーンを加えたさらなる更新版「接吻(M.D.L. Version)」も収録されており、同じ曲が一度の作り直しで終わらず、その後も形を変え続けていること自体が、この曲の性質をよく表しているように思う[9]。1つの完成形に固定するのではなく、その都度立ち会うメンバーやホーンセクションの呼吸によって、微妙に違う「接吻」がいくつも存在している。そのことが、かえってこの曲を古びさせない理由になっているのではないか。オリジナル版が持っていた、都会の夜をすっと駆け抜けるような軽さは、この2021年版では少し影を潜め、代わりに、時間を重ねてきた者同士が顔を見合わせて演奏しているような、落ち着いた手触りが前面に出てきているように聴こえる。それは若返りというより、円熟に近い変化なのかもしれない。歌詞は1993年版から一字一句変わっていない。都会的な距離感を描く言葉づかいそのものは前作の記事で触れた通りだが、この版で聴くと、同じ言葉が持つ湿度がわずかに変わって感じられるのが不思議なところだ。歌詞の意味が変わったわけではなく、その言葉を運ぶ演奏の温度が変わったことで、聴き手であるこちらの受け取り方が変化しているのだろう。歌詞そのものの新しい魅力を語るというより、演奏という器が変わることで言葉の聴こえ方まで変わる、という体験の記録として、この2021年版は面白い。

フルMVが映す、走る車と歌う男

この曲の公式フルミュージックビデオは、Original Loveのボーカル田島貴男がプジョー508 GT HYBRIDで東京の夕暮れから夜の街を走る場面と、屋上でギターを弾きながら歌う場面の、大きく2つの情景で構成されている[1][2]。CMソングとしての出自を持つ映像であることは映像を見ればすぐにわかるが、そのぶん街の灯りや車内の質感が丁寧に撮られており、単なる商品訴求にとどまらない映像的な誠実さは感じられる。特に夕暮れから夜へと移り変わる時間の描写は、この曲が持つ「昼と夜のあわい」のような雰囲気とよく合っている。とはいえ、この曲がもともと持っていた歌詞の物語性や、Ovallの演奏がもたらした重心の低さを、映像がそのまま代弁しているとまでは言い切れない。車で移動する画そのものにドラマがあるというより、30周年という節目を彩る記念映像としての役割が大きいように見える。フルMVが確認できること自体は評価すべきだが、曲の再解釈という主役の座を奪うほどの物語性までは持っていない、というのが正直な印象だ。

磐田で、更新しながら残るものについて考える

仕事で古い家の相続や空き家の相談を受けるとき、家族が悩むのはたいてい「そのまま残すか、手を入れるか」という選択だ。そのままにしておけば思い出は守れるけれど、住む人がいなくなれば朽ちていく。手を入れれば形は変わるけれど、次の世代が実際に暮らせる場所になる。「接吻」がOvallという新しい担い手を得て、もう一度呼吸を取り戻したように、家や土地も、誰かが関わり続けることで初めて生きたものになるのだと、この曲を聴くたびに思わされる。東京で最初にこの曲を聴いていた頃の自分と、磐田で家業を継いで土地や家族の問題に向き合っている今の自分の間には、それなりの距離がある。それでも「接吻」という同じ曲が、時代や演奏者を変えながら、その距離を軽く跨いで届いてくることに、静かな安心を覚える。30年前の曲を、今の世代と一緒にもう一度作り直す。それは過去への感謝であると同時に、これから先も更新され続けていくことへの信頼の表明でもあるのだと思う。家業や土地についても、同じことが言えるのではないかと思うことがある。先代から受け継いだものをそのまま守るだけでなく、今の時代の暮らし方に合わせて手を入れ、次に渡していく。「接吻」がOvallという新しい担い手を得たように、磐田の家々もまた、誰かがもう一度手を加えることで、これから先も生き続けていくのだろうと思う。

参考リンク

音楽が演奏者を変えながら形を保つように、家や土地にも、誰かが積み重ねた時間が残っています。

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書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。