ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=R85m2MzUW1c
確認した動画: KREVA「One feat.JQ from Nulbarich」(Full Ver.)(KREVA本人公式チャンネル)

仕事柄、人と人をつなぐ場面によく立ち会う。空き家の相談に来た方が、思いがけず親戚の土地の話までしてくれたり、ある依頼がきっかけで別の依頼につながったり。磐田で家や土地の相談を受けていると、ものごとは単独では起こらず、たいてい何かを介して連鎖していくのだと実感することが多い。KREVA「One feat. JQ from Nulbarich」を久しぶりに聴き返しながら、そんなことを考えていた。この曲は、私にとってNulbarichというバンドを知るきっかけになった1曲だ。当時、KREVAの新曲として何気なく再生した先に、JQという聴いたことのない声があった。そこからNulbarichを掘り下げるようになり、気づけばライブ会場にまで足を運ぶようになっていた。Nulbarichそのものの曲ではなく、他人の客演として紛れ込んでいたこの曲がなければ、その連鎖は起きなかった。音楽の入口というのは、狙って開けるものではなく、たいてい思いがけない場所からふいに開いてしまうものらしい(この逆向きの出会いについては、PUNPEE「夢追人 feat. KREVA」の記事でも書いた)。このサイトでは「TOKYO」からVaundyとの「ASH」まで、Nulbarichの曲を繰り返し取り上げてきたが、その最初の扉になったのが、この曲だったことを、あらためて書き残しておきたい。

大石セレクション:曲がいい ★★★★☆

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★☆☆
  • MVがいい:★★★★☆

選定理由:「曲がいい」と「MVがいい」がともに★4で並ぶ曲だが、主視点は曲がいいに置いた。JQのシルキーな歌声とKREVAのパンチのあるビートという、本来出自の異なる2つの音の哲学が、音源だけで十分にスリリングな化学反応を起こしているからだ[4]。木村太一監督による「別世界の交差」をテーマにした公式MVも力のある映像だが[2][3]、それはこの曲がすでに音だけで持っている緊張感を、視覚的に補強するものだと感じる。歌詞については「1+1=大きい1」というメッセージ性はわかりやすいものの、言葉そのものの余白や物語性という点では、曲やMVほどの深さを語りきれないため、今回は3項目のうち最も控えめな評価にした。

908 FESTIVALでの共演から生まれた曲

「One feat. JQ from Nulbarich」は、2019年8月5日に配信限定シングルとしてリリースされたKREVAの楽曲である[1]。前年に開催されたKREVA主催の音楽イベント「908 FESTIVAL 2018」での共演がきっかけとなり制作された曲だと伝えられている[2]。楽曲には「1+1=2ではなく、1+1=大きい1(One)になろう」というメッセージが込められているという[3]。KREVA自身は制作過程について「互いに何度も音のやり取りを重ねて、やっと1つの大きな力を持った曲が出来上がった」と語り、JQも「クレバさんのジェントルなエスコートで、気持ちよく楽しく自然体でいることができた」「最初にイメージしていたものを遥かに超えたものになった」とコメントしている[3]。世代もキャリアの積み重ね方も異なる2人が、フェスでの一度の共演をきっかけに、あらためて曲として形にし直した。そういう経緯そのものが、この曲の温度をつくっているように思える。この楽曲は、のちにKREVAのオリジナルアルバム『AFTERMIXTAPE』にも収録されており、単発の企画で終わらせず、自身の作品史の中にきちんと組み込んだこともうかがえる[5]

フェスという一度きりの現場での共演が、その場限りで終わらず、あらためて1曲として制作されるところまで進んだというのが興味深い。ライブという瞬間的な出来事が、後になって形として残るものへと育っていく過程は、音楽に限らず、人と人との関係づくりにも通じるものがあるように思う。一度顔を合わせただけの関係が、しばらく経ってから思わぬ形で再び動き出すことは、決して珍しいことではない。この曲の背景にある経緯を知るたびに、そうした「時間差で実を結ぶ縁」の存在を、あらためて意識させられる。

ミュージックビデオは、ロンドンを拠点とする映画監督・木村太一が手がけ、「別世界の交差」がテーマになっているという[2][3]。パラレルワールドのように異なる場所で生きる2人が交差する瞬間に、新しいものが生まれる、というイメージが映像に込められているそうだ[2]。曲の売上やランキングの詳細な数字までは確認が取れなかったが、KREVAにとってこの年はソロデビュー15周年という節目にあたっており[4]、そのタイミングで当時勢いを増していたNulbarichのJQを迎えたこと自体、世代を越えた化学反応を意図した企画だったのではないかと感じる。デビューから積み上げてきた実績のあるラッパーが、まだ勢いの途中にあるバンドのボーカリストに歩み寄る。その構図自体が、この曲が単なるゲスト参加以上の意味を持つ企画だったことを物語っているように思う。

配信限定という発表形式にも、この曲らしさが表れている気がする。CDというパッケージを介さず、ストリーミングとダウンロードという、聴き手が能動的に探しにいかなければ出会えない形での発表だった。実際、私自身もそうやって偶然にこの曲へたどり着いた1人だ。パッケージの棚に並ぶのを待つのではなく、日々更新される配信のタイムラインの中で、思いがけず目に留まる。今の音楽との出会い方そのものを体現するようなリリースだったのではないかと、今になって思う。

異なる音の哲学がぶつかる場所

音楽メディアの批評では、この曲がJQの「シルキーでメロウな歌声」と、おぼろげに漂うパッドやピアノの音色から始まり、そこにKREVAの「シンプルだがパンチのあるビート」が重なっていく構成が指摘されている[4]。批評家imdkmは、ネオソウルからディスコ、ブギー、ジャジーなビートといった音的なバラエティを指摘したうえで、「一音一音が着実に楽曲を前進させていくキックとスネア」にKREVAのビートメイクの技術が見えると評している[4]。ボーカルエディットや深いリバーブによる空間的な奥行きはNulbarich側の色合いを感じさせ、一方でキックとスネアの骨太な鳴らし方にはKREVAらしいビートメイクの手触りが残っている。聴いていると、ネオソウルやディスコ、ブギーの浮遊感と、ヒップホップの推進力が同じ曲の中で共存しているように聴こえる。本来交わりにくい2つの音の哲学が、衝突というより、すれ違いながら重なっていく感触がある。JQのやわらかな歌声がKREVAのハングリーなラップを受け止めるような構成になっており、力業の足し算ではなく、互いの持ち味を残したまま重ね合わせているように聴こえるところが、この曲の面白さだと思う。曲がいいの評価を★4とした理由も、まさにこの構成の妙にある。イントロで抑えられた音数が、サビに向けて少しずつ密度を増していく展開は、何度聴いても飽きが来ない。

個人的に印象深いのは、曲の温度が徐々に上がっていくように聴こえる構成だ。冒頭は抑制の効いたトーンで始まり、進むにつれてビートの密度が増し、声の重なりも厚みを増していく。まるで2人が最初は探り合うように音を重ね、だんだんと距離を縮めていく過程そのものが、そのまま楽曲の構造に落とし込まれているようにも聴こえる。KREVAという既に確立されたスタイルを持つラッパーが、あえて自分の型を少し崩し、JQの空間的な音づくりに歩み寄っている瞬間があるようにも感じられ、そこにこそ、この曲の「1+1が大きい1になる」というメッセージの実質が宿っているように思う。

この曲を初めて聴いたとき、正直なところラップの内容そのものよりも、声の質感や音の重なり方に耳を持っていかれた。歌詞の細部をなぞるというよりは、曲全体の空気の移ろいを追いかけるような聴き方をしていたと思う。後になって振り返ると、その聴き方こそが、私をNulbarichという未知の存在へ導いてくれた理由だったのかもしれない。歌詞の意味を追うより先に、声そのものに惹かれてしまう瞬間というのは、思っている以上に音楽との出会いを左右するものだと感じる。歌詞そのものに触れておくと、この曲が描いているのは恋愛の情景というより、異なる立場にいる者同士が力を合わせることで、単純な足し算を超えた何かが生まれる、という関係性の話だ[3]。個別の言葉を丸ごと引くことはしないが、「1+1=2ではなく大きい1になろう」というメッセージは、恋愛や友情に限定されず、仕事上の協働や、世代の異なる者同士の共演そのものにも重ねて読める普遍性を持っている。歌詞がいいを★3とやや控えめにしたのは、このメッセージ自体はストレートでわかりやすい反面、聴くたびに解釈が変わるような余白の深さまでは踏み込んでいないと感じるからだ。

「別世界の交差」を描いた公式MV

公式MVをあらためて見返すと、木村太一監督が掲げた「別世界の交差」というテーマが、映像の端々に表れているのがわかる[2][3]。KREVAとJQがそれぞれ異なる空間、異なる色調の世界に置かれ、曲が進むにつれて2つの世界が少しずつ重なり合っていく構成になっている。パラレルワールドという言葉から連想される派手なSFのイメージではなく、生活の延長線上にあるような、静かな異世界の描き方をしているところが印象的だ。JQがコメントで「宝物が一つ増えました」と語ったという逸話も伝えられており[3]、制作陣にとってもこの映像化が単なる販促以上の意味を持っていたことがうかがえる。MVがいいを★4とした理由は、この「別世界の交差」という明確なコンセプトが、曲が持つ「異なる哲学がぶつかる」という音楽的なテーマと綺麗に呼応しているからだ。音だけで聴いていたときには気づかなかった距離感や質感の違いが、映像を通して視覚的に補強される。ジャケット写真をKREVA自身がコラージュで手がけているという点も含めて[3]、音と言葉と映像が同じ思想のもとに作られている曲だと感じる。

知らなかった声への入口

私がこの曲に出会ったのは、KREVAというラッパーの新曲というだけの理由だった。それ以上の期待も予備知識もなく再生したはずが、いつの間にかフィーチャリングで入っているJQという声に気を取られていた。曲が終わったあと、JQという名前で検索し、Nulbarichというバンドの存在を知り、そこから他の曲を次々とたどるようになった。1つの客演が、まったく知らなかった音楽の領域への扉を開いてしまった格好だ。配信で聴くだけでは物足りなくなり、気づけばライブ会場まで足を運ぶようになっていた。会場の空気の中でJQの声を浴びる体験は、画面越しに聴くのとは明らかに違う質感を持っていた。あの体験の起点をたどると、いつもこの「One feat. JQ from Nulbarich」に行き着く。

思えば東京で働いていた頃は、こういう偶然の出会いに、もっと無防備だったように思う。仕事帰りに聴いていた1曲、電車の中でふと流れてきた誰かの声。生活のあらゆる隙間に、音楽が入り込む余地があった。忙しさの中でも、そうした偶然を拾い上げる余白が、都会での暮らしにはあったのかもしれない。人との出会いも、これに近いところがある。誰かを通じて紹介された相手が、その後の暮らしに深く関わる存在になっていく。磐田で家や土地の相談を受ける仕事をしていると、そういう「間接的な出会い」の連鎖を、何度も目の当たりにしてきた。ある方の相談に乗ったことがきっかけで、その方の紹介で別の家族の相談が舞い込む。1つの縁が、次の縁を連れてくる感覚は、この曲を通じてNulbarichに出会った経験と、どこかで地続きになっている気がしてならない。

磐田で聴き返す、間接的な出会いの記憶

東京で働いていた頃と違って、磐田に戻ってからは、音楽を聴く時間の質そのものが変わった気がする。移動中に流し聴きするのではなく、家で、あるいは土地の下見に向かう車の中で、ひとつの曲にじっくり付き合う時間が増えた。この曲を聴き返すたび、Nulbarichという沼に足を踏み入れたあの日のことと、その後ライブハウスに通うようになった時間を思い出す。仕事の相談を受けていても、最初の一言や小さなきっかけが、その後の家族の決断を大きく動かすことがある。何気なく聴いた1曲が自分の音楽的な時間を変えたのと同じように、何気ないやり取りのひとつが、家や土地をめぐる誰かの未来を変えることもある。

家族と過ごす時間の中で、この曲をかけることもある。子どもが「これ誰の曲?」と聞いてきたとき、KREVAとJQという2人の名前を並べて説明しながら、自分がこの曲をきっかけにどれだけ多くのものに出会ってきたかを、あらためて振り返ることになる。土地というものも、似たところがあるのかもしれない。1つの区画が、思いがけず隣接する土地の話につながり、そこからまた別の家族の歴史が見えてくる。磐田という土地に根を張って仕事をしていると、そうした「1つのきっかけが連れてくるもの」の大きさを、日々の中で何度も実感させられる。この曲は、私にとって単なる名曲というだけでなく、間接的な出会いが持つ力そのものを思い出させてくれる1曲になっている。

家というものも、多くの場合、1つのきっかけから始まっている。誰かの紹介、通りすがりに見かけた土地、たまたま耳にした噂話。そうした小さな入口の先に、何十年と暮らすことになる場所が待っている。この曲がNulbarichという長く付き合うことになるアーティストへの入口だったように、日々の仕事で出会う小さなきっかけも、その先で誰かの暮らしの土台になっていく。そう考えると、たった1曲の客演の重みが、あらためて違って見えてくる。

1+1が、単なる2ではなく、大きい1になる。この曲に込められたというメッセージのとおり、KREVAとJQという2人の共演が、私にとってはもうひとつ別の出会い、つまりNulbarichという存在との出会いを連れてきてくれた。当人たちが意図していたかどうかは分からないが、少なくとも聴き手の1人である自分にとって、この曲は間違いなくそういう役割を果たした。音楽が持つ、こうした思いがけない連鎖の力に、これからも静かに感謝していきたいと思う。

参考リンク

異なる立場の2人が音を重ねて大きな1になったように、家や土地の相談にも、いくつもの縁が重なって答えが見えてくることがあります。

静岡県磐田市周辺で、相続した実家・空き家・土地建物の整理にお悩みの方は、富士ヶ丘サービスまでご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。